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■第78話 「小鳥や芸術 −純粋な喜びを与えるもの−」 2012年9月4日
日が暮れる頃、雨の匂いを感じたのか、ソフィアート・ガーデンの雨蛙たちが「ゲッゲッゲッ」と鳴き始めます。たまに遊びにくる鴨の声かと思うほど、大きな声です。
そういえば、あれほど耳にこだました夏鳥の声は、いつの間にか聞こえなくなって久しいことに気がつきました。最近は雨蛙、そして日が暮れると鈴虫の音が、草むらから賑やかに聞こえてきます。秋の訪れを耳にするようになると、夏の間、森の奥深くに姿を消していた小鳥たちもガーデンを巡回ルートに組み込むようになり、冬のカラ類の混群を思わせる賑やかな集団で遊びに来てくれます。
今日は、私どもの車がゆっくりと到着したのを見つけると、最初にコガラが遠くの木から飛んできました。そして小鳥たちの集合場所になっている、小屋のそばのアズキナシには、ゴジュウカラ、ヤマガラ、シジュウカラたちが、周囲の雑木林から姿を見せて集まってきます。
ヒマワリのプレゼントにはまだ早い時期ですが、こうして集まった皆の注目をあびると、こちらも手ぶらでは悪い気がします。心ばかりのプレゼントとして、小さなカゴにほんの少し、ヒマワリの種を載せてアズキナシの枝に掛けておきます。するとお互いの序列の秩序を守って一粒ずつ取り、好きな枝に持ち帰って食べた後、しばらくガーデンで楽しく過ごしています。
本来、小鳥たちは虫や木の実、草の実などを食べて過ごします。ささやかなプレゼントを受けとった後は、水場で水を飲んだり水浴びをしたり、木の枝にぶら下がって虫を捕ったりしています。たまにメジロたちも混じって、チーチーと賑やかに木の葉の裏をのぞき込んでは小さな虫を上手に食べます。
ガーデンの巣箱で育ったと思われるシジュウカラの幼鳥も、すっかり大きくなりました。
シジュウカラの特徴である黒いネクタイ模様はまだ薄いのですが、栄養が良いのでしょうか、羽毛の色つやも美しくふっくらと大きな体格です。
成鳥でも小さいコガラ
は、水場ではシジュウカラの幼鳥に体格負けしてどかされてしまいます。幼鳥は調子にのって、コガラが水を飲んでいるところに、わざと何度も割り込んできます。コガラもいたずらっこの対応には慣れたもので、軽くあしらっています。
この前、いつものアズキナシの枝にとまった仲良しのヤマガラが、何か言いたげに長い間じっとこちらを見ていました。「どうしたの?」と聞くも相手は小鳥ですので、明快な答えはありません。試しにヒマワリの種を載せて手を差し出すと、手には乗りますが、ヒマワリを食べるでもなく、手のひらに止まってこちらと目をあわせた後、さっと飛び去ってしまいました。
どうしたのでしょうか?
ヤマガラがいつかのように、お別れの挨拶をしに来たのなら寂しいなあ
、と思いながらも、結局何だったのかはよくわかりません。
厳しい自然界の中で生きる小鳥たちが、こうして毎日遊びに来てくれ、何かのメッセージを私に伝えようとしてくれる、というのは、なんだか奇跡のように思えます。たとえ、目の前に起こっていることは、すべてが偶然の産物であり、そこに意味やメッセージを読み取ることは単なる妄想でしかないとしても構いません。心から楽しくうれしいことは、私にとっては「良いこと」なのです。
同じように、私にこういう心地よい瞬間を与えてくれるものに「芸術」があります。芸術というものは、私にとって純粋な喜びを与えてくれる、無くてはならないものです。
私は子供の頃から絵を描くことが好きで、高校に入ると油絵や陶芸を学び、のめり込みました。
大学は女子大でしたが、
他大学の混声合唱団
に所属したのがきっかけで歌の世界の魅力を知り、ソプラノのパートリーダー役を担うようになってからは発声法や指導方法を勉強するために、都響やNHKジュネスなど複数の合唱団をかけもちして練習に明け暮れました。
大学の寮住まいでしたので、寮の音楽室や図書館、東京文化会館の音楽鑑賞ブースで、手当たり次第にレコードを聴き、図書館の音楽関係の書籍はほとんど目を通すなど、大学の4年間は専攻そっちのけでクラシック音楽に打ち込みました。
一方パートナーは、自分では演奏しませんが、オペラやオーケストラ、インスツルメンツについて私よりもずっと詳しく、音楽関係の交友もあります。 私も今は、演奏や創作の活動から離れていますが、パートナーと一緒に一流の芸術家の音楽を聴き、絵を楽しむという、鑑賞する側としての趣味はむしろ広がりました。
東京在住時はパートナーとコンサートに出かけることも多かったのですが、最近はもっぱら絵画鑑賞のほうに関心が高く、時間をつくっては画廊や美術館などを訪れます。東京や大阪などの大都市には有名な画廊が店を構え、少々入りにくい感じもありますが、無料の美術館のようなものですので遠慮なく見て楽しみます。
先日泊まった東京の老舗ホテルには、創業者によるコレクション作品などを展示する美術館があり、宿泊者は無料で見ることができます。ちょうど折良く、「マリー・ローランサンとその時代展」という企画展が開催されており、その関係でフランスの作品としてルオーやブラマンク、そして荻須高徳や小磯良平をはじめとする希有な画家の作品を、じっくり鑑賞できました。
軽井沢には田崎廣助、脇田和、そして先頃オープンした千住博美術館など作家名を冠した美術館があります。軽井沢からほど近い小諸懐古園の中には小諸出身の画家、小山敬三の美術館があります。軽井沢と言えば浅間山であり、浅間の絵に興味がある人なら小山敬三は欠かせません。ちいさな美術館ですが、数々の名作と、復元された小山敬三のアトリエとともに生家から発見された絵などが公開されており、作家の芸術の源泉をたどる一助となりました。
また、版画好きの人なら名前を聞いたことがあるかもしれませんが、長野県の坂城(さかき)町に「森工房」という、世界で一番大きなリトグラフ(石版画)を制作できるすばらしいアトリエがあります。そこを構えた森仁志氏が、このたび健康上の理由で引退するため、作品を出身地である上田に寄贈したとのことで、その作品展および記念講演会が上田で開催され、私どもも足を運びました。
日本は世界的に見ても版画大国で、歌川広重などの作品がヨーロッパに影響を与えたことはよく知られています。そして、この森工房も、世界で誰もなしえなかった巨大な版画の製作工房として、カトランやブラジリエなど世界的な作家が訪れ泊まり込んで作品を残しています。また、東山魁夷の作品では、版数(一枚の版画で色を乗せる回数)がなんと318版318色という、まさに気の遠くなるような手の込んだ大作もありました。
このように、美術界の中でたいへん大きな役割を果たしたアトリエであり、森氏は刷り師という位置づけを超えて、版画の芸術家として作品に関与してきたことがわかりました。森氏の話は、さすがに世界一のことをする人は、普通と違うと感心しました。成功するまでは皆が「そんなことはできっこない」と言い、「あいつは気がふれた」などと陰口を叩くものですが、全くお構いなしです。とにかく、芸術に向う心のエネルギーが大きいのです。
絵も音楽も同様に、良い作品(演奏)にふれると、私は心から楽しくうれしくなります。真の芸術は、ともすると日常の中でさまよいがちな心に、「どうでもいいことと」と「本当に大切なこと」の違いを一瞬で示してくれます。
それにふれるだけで、心が生き生きと楽しい、うれしい、というのが私にとって真の芸術であり 「良いこと」なのです。純粋な喜び、圧倒的な力、というものは理屈ではなく、魂にふれる領域です。 その点は、小鳥たちとの交流で心が満たされる感じに近いかもしれません。
ソフィアート ・ ガーデン物語
有限会社ソフィアート
スタッフM( 竺原 みき )
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