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■第76話 「クリエイター」 2012年8月29日
世の中には、時に、他人が思いつかないようなことを考え実現させてしまう人がいます。そういう人は、たとえば芸術に関わる人であったり、事業をしている人であったりします。
人並みはずれた情熱と体力、精神力、といったバイタリティの塊であるだけでなく、実行力と運(悪運も含め)の強さで、普通の人では不可能なことをやってしまいます。失敗しても懲りずに何度でもチャレンジする執念深さと、大きなリスクをものともしない生来の楽観性もあるでしょう。
場合によっては、周りの人を翻弄することもあるかもしれませんが、ダイナミックな人には型破りなおもしろさと魅力があります。
自宅とソフィアート・ガーデンの二度にわたって、私どもと土地との出会いを支えてくれた不動産会社の社長は、そうした人のひとりです。
2003年の春、初めて軽井沢に来た私どもは、冷やかし程度の関心で何件かの不動産会社を訪ねました。
3件目の会社は、地場のこじんまりした仲介専門の不動産屋とは違い、派手で勢いがある様子でした。 アポイントメントもとらずに入るのは場違いかな、と少し躊躇しながらも、遠慮がちにカウンターの奥にいる社員に声をかけました。すると中から20代の元気の良い、テレビアイドルと紹介されても何の違和感のない茶髪の美青年(Kさん)がすぐに対応してくれました。
芸能事務所かな?と訝りながらも、手短に用件を伝え物件の打診をすると、さっそくいくつか案内してくれることになりました。Kさんは実際に話をしてみると、まっすぐな目をしたピュアな青年であり、こちらの話を全身で受け止めようとする姿勢に好感がもてました。案内してくれた車の中で、初対面の私どもに自分の生い立ちを包み隠さず話し始め、少々びっくりしました。
今では名も知られ、雑誌のインタビュー記事でもこの話を公開していますので、詳細は省きますが、Kさんが、人と関わる時に決して心の壁を作らずオープンマインドでいる理由、そして人との関わりをとても大事にするパーソナリティの根底を見る思いがします。
Kさんは、プロサッカー選手養成のコースで頑張っていたころ怪我によりプロの道を断念したとき、社長に声をかけられてこの仕事を始めたと話してくれました。機転が利き、私どもを含め顧客から学んだことをすぐに実践しようとする素直な性格が印象的でした。
顧客の懐に飛び込んで相手のために尽くす営業スタイルのKさんは、誠実で優秀な仕事振りと信頼で実力を伸ばし、現在は軽井沢の別荘サービス会社の経営者となり若手事業家としてがんばっています。
話を戻しますと、Kさんは土地を案内する車中で、パートナーの出身地の話を聞いたとたん 「社長と同じです!」 と喜んだ様子です。
会社に戻るなり、大部屋の奥でみんなと立ち話をしている社長に向かって、大声で
「社長! 倉吉です!!」
すると、その一言で意味が伝わり、
「おー!!これはこれは、どうぞこちらへ!」
と威勢のいい声で私どもを招き入れ、いろいろな話に花を咲かせました。社内はKさんと同様に、元気の良い若い社員が多いのが印象的でした。
時は流れ、偶然の出会いから9年以上が経ちました。軽井沢の地価下落のどん底期を経て、その不動産会社は軽井沢を代表する中堅デベロッパーとして、いわゆるヒルズ族など新手の富裕層を中心に顧客を増やし続け、沖縄をはじめ全国に開発物件を抱える会社にまで成長しました。
軽井沢もミニバブルで不動産が活況を呈していた矢先、2008年にリーマンショックをはじめとする世界同時不況が訪れました。軽井沢の土地を扱う不動産会社は、規模を拡大していたところほど、撤退を余儀なくされるなどの苦境に立たされたことは言うまでもありません。私どもは、この会社の近況が気になりながらも、5年間ほどご無沙汰していたところでした。
8月のある週末のことです。パートナーと私は散歩の途中にその会社の前を通りかかりました。すると忙しくて不在のことが多い社長が車で帰社したところにばったり出会い、しばし立ち話をしました。相変わらず華やかな雰囲気で「(リーマンショックで)大損しましたよ」と大声で元気良く笑っています。口から飛び出す金額が大きすぎて、私にはちょっと現実味が湧きません。
お茶でもどうですかと誘われ、私どもは会社にお邪魔して雑談を楽しみました。土地相場の話や、国内外の開発物件などの様々な話を聞いていると、リーマンショック後の苦境で懲りるどころか、さらにパワーアップして次々と新規案件を走らせている様子には驚きました。
1990年代のバブル崩壊も含め、何度も金融危機をくぐり抜け、その都度事業を拡大、成長させる人の話は、一般人の私から見れば無茶としか思えない逸話ばかりです。しかし、事業家としてのやり手の側面とは別に、若くて優秀な人材を引きつけるところがあります。
社長は若い頃に彫塑家を志したようで、芸術的感性も有しており、多くの芸術家や芸能人を友人としたり、パトロンとして育てることが好きです。自ら画廊をもっていたこともあり、会社にはいろいろな芸術作品が置かれています。それを見るのも楽しいひと時です。
当人にとって土地開発の事業は、壮大な大地を相手に自らの美意識を貫いた作品を創り出そうとする「芸術」そのものなのかもしれない、という気がします。もっとも私は、土地開発や造成に対してはとても慎重です。人間が大地に介入する場合は、自然のメッセージを受け止める謙虚な姿勢が必要であり、度を超した開発をすれば、早晩、大自然からお叱りを受けるものだと思っています。
私どもは土地探しの際には失礼やわがままを重ねて社長を困らせたりもしましたが、おおらかでやさしい人柄が根底にあるためか、会えばいつも両手を広げて歓迎してくれる包容力には感謝しています。私どもは、たまに会って雑談することが楽しみですし、社長も、気の置けない同郷出身者であるパートナー( と私 )と話をすることを心底楽しんでいる様子でした。
豪快に見えても、実は繊細な観察眼を持った人であり、植物にとても詳しく、2003年に土地探しを始めたばかりの私どもに、その土地の植生をもとに解説しました。たとえば、葦や柳の生えるような場所は湿地なので水が出る(=住宅に不適)、などです。
軽井沢に来た当初、土地について何も知らなかった私どもは、植生の話に目から鱗が落ちるような驚きとともに、なるほどと納得したものです。
のちに社員から、「社長は、常に植物事典を持ち歩いて、知らない樹木の種類を調べているので植物のことにはとても詳しいです」と教えてもらったことがあります。
この出会いを通して、土地を見定めるためには植生を観ることが王道であると理解しました。このことは、私が樹木観察の趣味を持つきっかけになりました。 そして、「私は、土地を気で見るんですよ!」ということばも印象に残っています。見えないものを観る力、というものを持った人なのでしょう。
軽井沢では、さまざまなきっかけで意外な人と知り合いになることがあります。土地の「気」を読み、「美」を創り出そうとする破天荒なクリエイターとの出会いを通じて、私どもの土地や自然に対する感受性も高まっていったと思います。
ソフィアート ・ ガーデン物語
有限会社ソフィアート 長野県軽井沢町長倉 2082-4
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