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■第34話 「生命の木」 2012年5月25日

いつもの散歩コースで四季折々楽しめます 私どもの自宅はソフィアート・ガーデンから少し離れたところにあります。自宅は車を使わなくても生活できるような、利便性の良い場所にあります。古くからの住人の多い、いわゆる住宅地にあたります。

この場所は軽井沢の中でも比較的便利な場所です。古い地図にも載っている昔からの大きな家があり、畑、山林を含めて、所有者が丸ごと売り出すということでした。分筆前で古い家屋敷も残っていました。2003年の早春、不動産会社に紹介され、私どもは何も知らない強みで、畑の中程にある部分を、ほとんど勢いだけで契約しました。

大きな古木が5本だけの、長い間自家菜園の畑として使われていた土地で、周囲も日当たりが良い平坦地です。
まわりも似たような自家菜園と静かな田舎の風情が色濃く残る土地です。近くの小道を行けば、閑静な古くからの別荘や大きな企業の保養所があり、カラマツやモミの並木が続いており、雲場池(くもばいけ)までの散歩が楽しめます。

日差しの強い場所より森の中が映える 土地の背後には北西から北、北東にかけて、ゆるやかに離山(はなれやま)が広がり、山の懐に抱かれ守られているような感じで、民家のコブシやヤマザクラの花が美しく、穏やかでのどかな土地という印象を受けました。

この土地を契約した9年間前は、まだ私どもは木のことをよく知らず、敷地にある5本の木が何であるのか、不動産会社の人に聞くと「マユミ 2本」「ヤマボウシ 1本」「モミ 2本」ということでした。

マユミとヤマボウシの古木は、それぞれ樹高、樹冠ともに優に5、6メートルを超え、今は家の南側と西側で、気持ち良い木陰を作り出しています。冬には葉を落とし、明るい日差しが気持ちよく、小鳥たちのがマユミの実をついばむ姿に心が和みます。南西と北西にはこれも樹高7メートル以上の常緑のウラジロモミがあり、家を守ってくれます。

たまたま土地の分割の関係でこのような配置になったのですが、私どもは大事な先住者である5本の木が大好きになり、邪魔だとか切るという考えは浮かびませんでしたので、この配置を生かして家を建て、他のたくさんの木を植えていきました。

秋は葉が美しく紅葉し、ピンクの実がつく そして、この5本の古い大きな木があればこそ、野鳥や様々な生きものが喜び集う庭になったと思います。

一方で、土地の真ん中にどかんと大きな木があれば、これを最初から「面倒な木」と見なし、深く考えずに切って更地にして家を建てることもあるようです。

一部の他地域の不動産業者が「軽井沢の常識」に配慮せず、「土地は最初から何もない更地にして売るもの」という、一般的な住宅地を販売する際の発想で、全部の木を切ったこともあります。

何年も前のことですが、ある敷地が売りに出されたときのことです。古い大きな家屋の庭には、樹齢百年超の立派なイチイの大木が何本もありました。 多少なりとも木のことを知っている人なら誰でも、大変貴重な木であることがわかります。しかしそこでは、これを含め、全部の木を切って更地にして家が建ちました。木のことを全く知らないからできる行為とは言え、他に方法はなかったのかなあ、と他人事ながら残念に思いました。

軽井沢でも、こうして文化財のような大木が惜しげもなく切り倒されることがあります。しかし他の地域の住宅地と異なり、軽井沢では、このような行為は冷やかな目で見られますし、木立や美観に配慮しない売買や建物建築はしてはならないことになっています。こうしたことは暗黙のルールとして長年受け継がれ、大切にされてきた基本的な考えでありますし、行政もガイドラインを示しています。

いつもの散歩コースで四季折々楽しめます 私どもも、別荘地にあるソフィアート・ガーデンで小屋を建てる時は、周囲への配慮と緊張とで、とても疲れたことを思い出します。その点、自宅の建築では、木が5本だけの畑地でしたので気が楽でした。

古い別荘地の苔むした石垣の風景も、実は膨大な時間と手間暇、金銭をかけて保持していることがわかります。有名な旧軽井沢の別荘地を散歩すると、春のシーズンを迎える前の庭園の手入れの丁寧さは驚くばかりです。

苔を痛めないよう、やわらかい刷毛でモミやカラマツのこまかな落葉を払い、繁殖力の強い外来種をていねいにわけて土を出さないように抜き、山野草だけを残し、緑の苔庭の美しい絨毯をたくさんの庭園管理の人々がプロ意識をもって静かに掃除している姿は、誰も知らないシーズンオフの軽井沢の光景でしょう。

そういうたいへんな努力によって成り立っている苔の絨毯の上に、観光客が無造作に入り込み、石垣などに登って記念撮影をとり、美しい苔を剥がしてしまうのは毎年の恒例行事です。見えないところでどれほどの苦労と努力が、この美観を保つために費やされているかを知るものとしては、無神経な行為に心が痛みます。

高原の景観を特徴づけます 軽井沢の美観を保っているのは、こうした地所の所有者個人の力によるものです。また軽井沢の地を大事にしてきた人々がそれを支えています。家を建てる際にも山野草などの種を残したいと、わざわざ表面の土を保存して、建物を仕上げたあとに、もとの土を戻す人たちもいます。

ですから、軽井沢に建物を建てる人(法人)が、その膨大な一人ひとりの努力と歴史の上になりたっている美観を、借景として楽しむだけで、自らは作り出し維持する努力をせず、ましてや周囲の美観を損ねることを恥じようとしない行為をするならば、そのことはとても嫌われます。

土地は、人間の財産である以前に、その地域の先住者(人だけでなく木や虫や鳥など、すべての生きもの)の生命を育んできた場です。ですから、私どもは、こうした先住者に対する無条件の敬意と配慮が大事であると思っております。その意味で、美観は一見保っているものの、除草剤や薬品を多用する場所は、多くの生命を養うことができないため、「生き生き」とした幸福な感じがなくてあまり長居したくありません。

きれいな水と空気と土が生きものを養います やはり豊かな気持ちになれる土地とは、そこにいるだけで元気になれる土地、生命の躍動感を感じるような土地だと思います。
もちろん虫も「雑草」も元気よく、野鳥がさえずり、小動物が忙しそうに楽しく走り回る土地、そして野草を摘んでお茶にすることのできる土地だと思います。

植物に詳しい人から、コナラの大木は600種類の生命を養う、と聞いたことがあります。まるで、一本の古木は一つの大きな宇宙のようです。古木を切る時には、せめてその前に、木肌に触れて心を通わせ、木の生命を人間の都合で絶つことに真剣な思いを寄せて欲しいものです。

木を最初から「切るべき邪魔者」と考えずに、設計の見直しなどの熟慮を重ね、人間の知恵と技をいかすことが、土地への感謝であり、大地の長い歴史のほんの一時を利用させてもらう人間の姿勢だと思います。

命を養う自然の力が宿る樹木は、長い間そこで土地とともに生きてきた大事な先住者です。その地でたくさんの生命を支えてきた古木は、私たちが無条件に敬意を払わなければならない最大の生きものだと思っています。


 『 ソフィアート・ガーデン物語 』 第34話 「生命の木」 
有限会社ソフィアート スタッフM( 竺原 みき )


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