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■第80話 「母への感謝 −母の教え給いし歌−」 2012年9月11日

コマユミの葉が紅葉しはじめた 4月初めにスタートしたソフィアート・ガーデン物語も、早いもので、もう第80話となりました。目指す第120話まで残り40話です。ゴールを迎える頃は、きっとソフィアート・ガーデンも冬の装いになっているでしょう。

このエッセイを書き始めた理由は、いくつかありますが、書き進めていくうちに、当初は予想していなかった、ある変化に気が付きました。それは日常を過ごすときの意識が、より鮮明になる、という変化です。

日常というものは仕事や雑事で忙しく、気がつくとあっという間に時が経ってしまいます。時の流れは万人に平等です。

私は、人生という道中を、脇目もふらずに目的地に向かうのではなく、道草を楽しみながら風景と一体となってみたい、もう少し細やかに観察してみたい。この物語を書くことによって、そのような意識が喚起され、日々強まっていきました。

何かを書くという行為は、意識のスポットライトをどこに当てるか、ということに密接につながる行為でもあるといえます。

人は社会的な生きものであり、社会で与えられた役割を演じるために、普段私たちはさまざまな仮面をかぶることを余儀なくされます。しかし、幾重にも「常識」や「慣習」、「教養」などの鎧をまとい、重装備して日常を過ごすうちに、本来の心の自由な動きができなくなってはおもしろくありません。他人の目で見たり聞いたり、借り物の頭で考えたりすることが習慣になり、ついには自分自身の目や耳や頭や心まで見失ってしまうとすれば、本当に自分の命を生きているとは言えません。

秋の象徴のようなコスモス 重い鎧を外し、空を見あげて風の匂いを感じ、野鳥の声に耳を澄ませ、大地に身を屈めて、山野草の芽吹きや樹木の様子をこの目でしっかりと見たい、という思いが私にはあります。

そして、そうした視点を意識して日常を過ごし書き留めていく中で、軽やかな心でいきいきと生きたいという意識が、やがて明確な意思へと変わっていったように思えます。これから私自身がどう生きたいか、という意思を自覚するにあたって、「書く」ということは有意義な手段だと、このエッセイを通して気がつきました。

冒頭に、このエッセイを書き始めた理由はいくつかある、と言いましたが、その中のひとつとして、母親への感謝を表現したい、という思いがあります。今回の第80話で、ようやく実母の年齢の数に追いついたところですので、その記念に、今回は母への感謝の物語を書いてみたいと思います。

『 母の教え給いし歌 』 というドヴォルザークの美しい歌があります。私も何度か歌ったことがある好きな歌です。 ドイツ語で、Als die alte Mutter mich noch lehrte singen 、「老いた母が昔、目に涙を浮かべて教えてくれた歌を、いま私が同じように涙を流して歌う」、という内容の歌詞です。エッセイを書く動機は、この歌にこめられた感謝の思いに近いかもしれません。

真っ白の美しい花です 誰にとっても親、特に母親という存在は大きいものでしょう。私は心理的にも物理的にも、親離れが早いほうですが、だからこそ、見えない心の奥に広がる大きな存在なのかもしれません。

私は大学入学時に故郷(沖縄県)を離れ、そのまま卒業後は東京で就職、結婚しました。学生の頃や就職してからは忙しさもあって、1、2年に1度帰省するかしないかでした。結婚してからは、沖縄が大好きなパートナーの希望もあって頻度をあげて帰省するようにはなりましたが。

私は昔から、何でもひとりで考えて決めてしまうところがありました。進学、就職、結婚といった場面でも、「自分はこうしたい」ということが決まった後に家族に報告するのですが、母はそんな私を信頼して、「あなたが一番よくわかるのだから、自分でよいと思ったことをしなさい」といつも全面的に賛成して見守ってくれました。

母は、いつも楽しそうに笑う朗らかで元気な女性で、世話好きで、おいしい沖縄料理やお菓子を作っては、マンゴーやバナナ、パパイヤなど庭でとれた果物と一緒に、年に何度も送ってきてくれました。遠く離れていても、心のこもった親の手料理を味わえることに、いつも感謝の気持ちでいっぱいでした。

沖縄の年寄りは見えない力に対する信心が深い人が多いのですが、母も例に洩れず、生きものを大切にすると良いことがあると信じていました。私が小鳥の巣箱をつけた話をすると、「とっても良いことをしているねえ。きっと、小鳥があなたたちに幸せを運んでくるはずよ。」と心から感心したように言います。人に対しても同様で、他人への敬意を忘れず、人を貶める発言や陰口は聞かされたことがありません。ただし現実の世の中には悪いことをする人もいる、ということはしっかり教えられました。

長く楽しめる花です 私は末っ子で伸び伸びと育ち、普段は母から叱られた記憶がありません。

しかし、私がたまに落ち込んで、「自分はダメだ」ということを口にすると、その時だけは叱られました。「そんな小さなことでクヨクヨしてはいけない。あなたはすばらしいのだから、もっと自信をもちなさい。」

そう強く断定されると、そんなものかなあ?と思いながらも、そのうちに心の中にメッセージが刷り込まれてしまったようです。大人になった今でも、多少落ち込むことがあったときには、条件反射的に「たいしたことない、大丈夫」と、どこからか自信が湧いてくるようになりました。

私は私である以前に、まず親にとっての大事な娘である、ということに気がついてからは、徒に自分を卑下したり悪く言うことは許されない、と思うようになりました。そして結婚後は、パートナーが冗談で自分自身を卑下した発言をすると、今度は私が母と全く同じようなことを言っていることに気がつきました。まるで、母の教え給いし歌を、今は私が歌っているかのように。

先日、ソフィアート・ガーデンから自宅に帰る道すがら、薄暮の川沿いの小道の向こうから、年配の男性が散歩してくるのを見つけました。以前、>> 第66話「避暑地の夏」で書いた、お菓子とお料理の教室の先生です。パートナーと私は、車を一時停止して先生に挨拶しました。一人で川面を眺めながら散歩していた先生は、私どもとの偶然の再会をとても喜んで、にこにこしながら、「流れる木の葉を見ながら、人生について考えていました。木の葉も、小鳥も、人間もいっしょですね。ふふふ。」と穏やかにおっしゃいました。

緑から純白、そして再び緑(最後は茶へ) 「そうですね、きっといっしょですね・・・。」私どもは、さよならの握手をして別れを告げましたが、先生の詩人のような一言が、不思議と耳に残りました。

先生は、祖母の代から三代にわたってお菓子とお料理の教室を続けてこられ、教室には、優しく微笑むお母様の写真が飾ってあります。

「生涯、一度も怒ったことがないのですよ」、と以前、先生からお母様のことを聞きました。そういう先生も年配の男性にありがちな尊大さや頑固さは全くなく、(性別は逆ですが)「慈母」のような優しい人柄で、長年教室で学ぶお弟子さんたち(全員女性です)も、不思議と同じような人が多いのには感心させられます。やはり親でも先生でも、向き合う相手のすばらしさを認め大切にしようとする温かい心は、そのまま信頼となって、子や学ぶ人の心に伝わり、人格に深く影響を与えるようです。

私どもは毎年、ソフィアート・ガーデンや自宅に巣箱をかけ、小鳥たちの営巣から巣立ち、そして独り立ちするまでを見守っていますが、一羽一羽異なる個性のヒナたちの命を守り、育て、自立できるようにきめ細やかに心をくばる親鳥には、いつも心から素晴らしいと感嘆させられます。人も、鳥も、こうして親に育てられて初めて独り立ちすることができます。 そして今度は、育てられたものが、その恩返しをしようと、母の教え給いし歌を心をこめて歌い、自らも大事な人や次の世代を愛し育てていこうとするのでしょう。

ソフィアート ・ ガーデン物語
有限会社ソフィアート 長野県軽井沢町長倉 2082-4


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