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■第91話 「秋の散歩」 2012年10月15日

雑木は紅(黄)葉が早い 毎日の最低気温が8度を下回って紅葉のスイッチが入ったと思いきや、今週末の最低気温は2度台まで下がりました。

10月に入ってからは藪蚊がすっかりいなくなりましたので、庭仕事が楽しくて仕方がありません。

私は、夏の間の家籠もりを取り戻すかのように、暇さえあれば外に出てハサミを手に庭を歩き回って手入れします。まるで蟹かハサミ虫の仲間です。

小鳥たちは、私を片目でちらりと見て特段気にもとめず、すぐそばの枝や地面で好きなことをして楽しそうに遊んでいます。

高原の秋は、これから冬へと急ぎ足で向かいます。毎日朝夕の暖房はすっかり欠かせなくなりました。霜注意報も出され、足元に目をやると赤や黄色に染まった草もみじも見られるようになりました。

イノシシの堀り跡もたくさん見かけます 週末ともなると相変わらず車道は混みますので、雲場池を通って旧軽井沢まで秋の散歩を楽しむことにしましょう。

今年は栗の当たり年であったのか、栗のイガと実がいたる所に落ちています。軽井沢にはこんなに栗の木があったのかと今さらながらに驚きます。ソフィアート・ガーデンも、大きな栗の木はもちろんのこと、例年はほとんど実らない、まだ若い木までもがバラバラと実を落としています。

そして今年はキノコも当たり年なのか、散歩の道中では、さまざまなキノコにも出会います。森の中にキノコが鎮座している様子はおもしろく、あるキノコはひっそりと、またあるキノコは大集団で賑やかに生えています。私は中毒がこわいので食べずにもっぱら見て楽しみます。キノコは、ある日突然姿を現し、そして跡形もなく消えてゆきます。菌類や植物というより森の妖精やこびとを思わせる、不思議な幻のようです。

ひとけのない森の小道を歩いていると、木の葉の落ちる乾いた音がします。

旧軽井沢の別荘地は常緑のモミの木が多く、全体に少し暗い感じがしますが、広い庭には立派なモミジも多く植栽されています。ひだまりのスポットライトを浴びて、染まりかけの美しい赤が濃い緑の中に見えると、ハッとする美しさです。大きなイチョウの木も、今年は早々とレモンイエローに染まりつつあります。生け垣のニシキギは、日当たりの良い場所ではすでに赤く染まっています。これから少し遅れて、ドウダンツツジも深紅に染まり始め、赤と黄と緑のコントラストが映えることでしょう。

キノコ中毒のニュースを目にする時期になりました 落葉樹は凍える厳しい冬を乗り越えるために、役割を終えた古い葉を落とします。しかしその葉柄には早くも来年の芽をいだいています。

冬でも葉を落とさない落葉広葉樹もあります。自宅に目隠し用に植えたヤマコウバシ、というクスノキ科の木はその一つです。新芽が動く春にならないと葉が落ちません。落葉樹でありながら冬も枯葉を残すため、目隠しの効果は冬の間も保たれます。自然の山野には普通に見られる木で、山林を歩いていて、寒々とした明るい林の中で黄土色の枯葉を身にまとっている木があれば、その木はヤマコウバシであることが多いのです。

このヤマコウバシは例外として、落葉樹の多くは冬に向けてすっかり葉を落としますが、よく見ると枝には小さく固い芽が来年の春の芽吹きを待っています。もし、枯葉を枝に留めようとすれば、芽は春に開くことができません。そして落ちゆく木の葉もまた、木にしがみつくことはありません。みずから枝に別れを告げ、大地を目指して緩やかに舞いながら落ちていきます。

清流が育む水辺の植物 ふと、人の世にありがちな姿、終わりを恐れて何かにしがみつき、手放す不安に怯えて何かを必死につなぎ止めようとする姿に、木の姿を重ねてみます。

人も「何か」を失って身軽になることで、今まで固く閉ざされていた小さな芽が開きはじめ、新たな春の到来に気づくこともあるかもしれません。

そもそも、終わりに見える姿の本質は、その役目を果たした状態であって、喪失ではなく満足ではないか。目の前を舞い落ちる木の葉を見ていると、なんとなくそう思います。

先日、川沿いの小道を散歩する知人と偶然に再会したとき、その年配の男性は、川面を眺めながら「木の葉も、小鳥も、人間もいっしょですね。」 とパートナーと私に静かに語りました。

無数の落葉は、春を待つ山野草の眠る大地を覆っていきます。鳥や動物たちは、木々が落とす豊かなみのりをお腹いっぱいに食べ、せっせと蓄えます。そして虫や冬眠する動物たちは落葉の温かいフトンに潜り込み、冬の厳しい寒さの中でじっと春を待ちます。

軽井沢の秋の森から賑やかな街中へと場面は変わりますが、横浜のみなとみらい駅には建物と駅をつなぐ大空間があります。そこには、ジョセフ・コスースの "The Boundaries of the Limitless"という作品が巨大な壁のようにそびえています。黒い御影石の壁面には、ドイツの詩人シラーのことばがドイツ語と日本語で彫り込まれており、長いエスカレーターを昇降するときには自ずと目に入ります。

ショーハウス(軽井沢最初の別荘)も敷地奥にあります Der Baum treibt unzählige Keime, die unentwickelt verderben, und streckt weit mehr Wurzeln, Zweige und Blätter nach Nahrung aus, als zu Erhaltung seines Individuums und seiner Gattung verwendet werden. Was er von seiner verschwenderischen Fülle ungebraucht und ungenossen dem Elementarreich zurückgibt, ・・・

「樹木は成育することのない無数の芽を生み、根をはり、枝や葉を拡げて個体と種の保存にはありあまるほどの養分を吸収する。樹木は、この溢れんばかりの過剰を使うことも、享受することもなく自然に還すが、・・・」(以下略)

このことばの持つイメージの力は強く、無心に眺めていると、華やかな街を行き交う人々やイルミネーションは目の前から消え去り、静かな森の中ただ一人で巨木を見あげているような錯覚を覚えます。秋の日、森の中を散歩していると、樹木の微かなメッセージが、落葉のささやきから聞こえてくるような気がします。

ソフィアート ・ ガーデン物語
有限会社ソフィアート スタッフM( 竺原 みき )




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