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■第53話 「野菜三昧」 2012年6月27日 番外編(その9)

ソフィアート・ガーデンは梅雨の一休みで、明るい太陽とそよ風の気持ちよい好天に恵まれています。

南斜面の農地は日当たり良好 私どもは少し車を走らせて、佐久や御代田(みよた)、東御(とうみ)、上田など近郊の市場に買出しに行くことがあります。

軽井沢も場所によっては、おいしい高原野菜の名産地ですが、近郊は、浅間山のなだらかな南斜面に位置した日本でも有数の晴天率の高い地域です。恵まれた気候風土を活かして、この時期は旬のおいしい野菜や果物があふれんばかりに店頭に並びます。

夏のマルシェは、新鮮で色ツヤも良く、見るからに健康に育った野菜が、生産農家の名前とともに棚に所狭しと並びます。観光を兼ねた買い物ツアーのバスなどが立ち寄る東御の道の駅では、わくわくと嬉しそうな顔の老若男女が野菜を次々と買って行きます。午後の早い時間には人気の棚は空っぽになってしまいます。 「誰々さんの野菜は(果物は)おいしい」という生産者と消費者、売り手の間の顔の見える会話が成り立ち、生産者側も丹精込めてつくった野菜の人気(評価)の有無が一目で分かるので、大変張り合いのある市場となっています。

りんごやブドウなどの果樹が並ぶ ほかにも、各地域の農協(JA)や農家の直売所も楽しい場所です。私どもは、上場企業のような大企業のお客様との接点が多いのですが、私どもの視点が偏らないようにするためにも、マルシェや市場での買い物の際には複数のスーパー、百貨店などとの比較(ストアコンパリゾン)を行っています。農家に直接買い付けに行ったり農園で生産農家と情報交換したりすることも多く、対話から肌で感じられる事柄は大変参考になります。

この季節は、小さいながらもパワーのある個人農家や農業法人、大組織の農協など、さまざまな第一次産業の担い手の方々と直接に接し、彼らの創意工夫と意気込み、責任感と誇り高い仕事を実感できる時期でもあります。生産者みずからが関わる、こうした農産物の直売所などは、大都会ではなかなか体験できない、当地ならではの楽しみに満ち、生きた情報収集のできる貴重な場です。

もちろん、仕事のための視察だけではありません。野菜や果物を買いにいくのが最大の目的です。さまざまな種類の新鮮な野菜は、だいたい100円単位で販売されることが多く、こちらも計算がしやすいので助かります。持ちきれないほど、籠いっぱい買っても、1000円を超えることは難しいぐらいです。

長野県、特に軽井沢および周辺の東信地域は、標高が高い冷涼な場所もあれば、他県の生産地並に夏場は暑いところもあり野菜の旬の季節が複数あるのが特徴です。他の地域では冬に旬を迎える野菜も、冷涼な地域ではこの時期に旬を迎えて出荷されるのが嬉しいところです。逆に厳冬期は野菜の出荷を見かけなくなりますので、他県の冬野菜にお世話にならざるを得ません。そういうわけで、この季節、当地ならではの新鮮野菜に囲まれる私どもは「この時期に野菜を食べずに、何を食べるのか」と言いたくなるほどの野菜の充実具合に、買い物のたびに深い満足と感謝を感じます。

そして、持ち帰った野菜は、毎食の食卓にいろいろなメニューとなって並びます。毎日のフレッシュジュースには、小松菜やブロッコリー、レタスや白菜、こかぶや大根葉、チンゲン菜、ニンジン、長芋などから適当に数種類を組み合わせ、豆乳やあんず、柑橘系、バナナなどの季節の果物を混ぜ、自家製のジャムやシロップ漬けなどで甘みを加えてミキサーでつくります。とても美味しくて、しかも栄養が豊富です。(注意:生食可能なもの以外の根菜類やアブラナ科の青菜は下茹処理すると安心です)

食事はたっぷりの温野菜に味噌汁、キャラブキ、といった、野菜中心のおかずに少しの魚介類(たまに肉類)という食生活です。私どもは特に菜食主義者というわけではなく、魚も肉も好きですが、この時期は肉を食べる暇(胃)が無いほど野菜がたくさんあるので、結果こうなってしまうのです。

おいしいこと! 考えてみれば、野菜中心の食生活は私にはとても体質的に合っています。私は、食べるためでしたら魚介類をさばくことはできます。しかし、鶏やもっと大きな動物を食べるための準備を全て自分ですることはできません。

生きものは、自分が捕まえることのできるものを食べる(=命をいただく)のが、自然な営みなのだろうと、ガーデンの野鳥たちを見ていて思います。

自分で野菜を育てる人は、収穫した野菜や木の実や果物を食べ、自分で狩をすることのできる人は獲物を食べ、釣りができる人は魚介類を食べる、という食のあり方です。私は自分で農業や漁業はしませんが、体力や精神面での適性を考えると野菜や穀物、果物、魚介類中心の食事が適しているでしょう。

日本は東西南北の広がりがあり、国土の広がりに応じて食文化も多様性があります。私は沖縄の生まれ育ちですので、おいしい沖縄食で育ちましたし、ほかの地域でも山の幸が楽しめるところと海産物の豊富な海沿いとは食べ物が違うでしょう。しかし、現在は、日本中のあらゆる場所で、外食産業やスーパー、デパートなどで供給される外食、中食(なかしょく)といった、全国統一(画一)の味によって、こうした地域特性の食文化が変わってきています。

私自身も、全国のおいしいものが手に入る喜びを享受しているひとりです。とはいえ、それはたまに入手する程度のことであって、やはり毎日の主要な食事は、近場の新鮮な食材を中心とした「地産地消」であり「身土不二」が好ましいでしょう。バナナや果物ならいざ知らず、遠い外国から輸入コストをかけ、検疫の薬剤を使用して取り寄せた野菜を食べたいとは思いません。

農業の担い手が、やる気と喜びをもって、安全で安心な健康に良いおいしいものを作りつづけられるような日本であるためには、政策による後押しも大事でしょう。しかしそれ以上に、毎日の食卓を考える立場の人(男女問わず)の意識と行動は、現在と未来を変える力を持っていると思います。日本の農業や漁業など食を担う産業の未来は、日本の命の未来とも言えます。

フランス語名は「ソロモンの印璽」です 「食は命」ですから、家族や自分の命のために、価格や見栄えに偏らず、ごまかしや嘘を見破る目を持ち、美味しい元気な野菜を歓迎する意識を少しずつでも強くすれば、やがては市場を通して販売者の意識を変え、作り手を励まし正しい努力を促す希望につながります。

かつて、私が若かりし(今も若いですけど・・・)東京在住の頃、商店街の八百屋でいろいろな野菜を買っていたら、その八百屋の年配のご主人に「お客さんのような若い人が、こうして野菜を買ってくれるのだから、日本の未来は安泰だあ!」と言われて、大げさな言い方におかしくて笑ったのですが、今は、その人の言葉が何だか分かるような気がします。


ソフィアート ・ ガーデン物語
有限会社ソフィアート 長野県軽井沢町長倉 2082-4


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