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■第52話 「道を往けば」 2012年6月26日 番外編(その8)
私どもは出張や旅行のために、車で長距離を移動することがよくあります。高速道路や一般道など、さまざまな道を行くのは楽しい反面、恐いことや不快なこともあります。また鉄道などでは見られないような日本各地の一般道を通ることにより、さまざまな風景や生活が垣間見え、多くの学びや気づきがあります。
私は子供の頃は歴史や地理には興味が湧きませんでした。しかしこうして全国を見てまわるようになってからは、今や各地の歴史や地理のことが一番興味のあるおもしろいテーマになりました。
軽井沢には、古くは江戸の日本橋から草津宿(今の滋賀県)まで続いた中山道という街道が通っています。これは国道18号とつながったり、脇道にそれたりしながら古い街道沿いの宿場の面影を、わずかながら残しています。
私どもの自宅に近い離山通りも旧中山道の一部ですので、中山道を歩くツアーの団体ご一行や、個人旅で街道を歩く人が通ることがあります。
離山通りは、国道18号から分岐したところでは交通量の多い割には道幅が狭く、歩道が整備されていない箇所もあります。歩行者の安全への配慮もなく運転する車のすれすれを団体の歩行者や自転車が往く様子は、見ていてこちらがヒヤヒヤします。しかし旧街道というのはどこも似たような状況かもしれません。
全国を旅する折に、車で古い街道や宿場の風景の名残を目にしますが、昔の街道は道幅が細いために大規模開発ができず、現在は街の中心地が車道の開発の容易な他地域へ遷ってしまうことも多そうです。そうした旧街道は、家の造りや蔵や庭のたたずまいなどに昔の栄華を残すのみで、ひっそりとした寂しさを漂わせているところもありますし、現在も街の中心地として活気を帯びているところもあります。いずれにしても、徒歩やせいぜい馬での旅が中心であった頃の「道」は、その時に栄えていた場所ほど道路拡張や開発が困難であり、時代から取り残されてしまいがちです。
今や、街の交通の中心地は、時速50キロ以上で大型トラックなどの行き交う舗装道路に面した便利な場所に遷っていき、そうした場所は道をゆっくり散策するという風情はなく、車で乗り付けてその地点に滞在し、車で帰るという移動のあり方が多いでしょう。
そういう道路とは違い、現代に残された由緒ある街道は、狭くとも昔の風情を残しており、地図を片手に歩きたくなる道なのでしょう。街道を中心とする昔からの道は、人と物の行き交う道であり、同時に歴史と文化と風俗を肌で知ることのできる場でもあります。
今、私たちは徒歩ではなく車で移動することが多いのですが、それでも車窓から見える道からは、今と昔をつなぐ建物や人、庭、そしてその地域らしさにあふれています。たとえば一般道を走る地元の車は旅行先で一番最初に目にする、その地域の雰囲気を雄弁に伝えてくれるものです。
日本各地を旅してみて、その地域性の特徴がいちばん出るのが一般道を走っている車の雰囲気であると思っています。北海道から沖縄まで、九州を除いて、海沿い、山沿い、太平洋側、日本海側と、日本全国の地域を車で移動しましたが、おもしろいほど地域ごとに特色がみられます。田舎と都市部もまた違います。のんびりとした地域、雑然としながら不思議に事故にならない地域、整然とした地域、運転が乱暴な地域、運転に人の良さのにじみ出る地域などがあります。
「直進より右折が先」という妙なローカルルール(?)や、方向指示の合図を曲がる直前(曲がった後)に出す、大きなトラックが轟音をあげて走る鼻先にのんびりした軽トラックがふらりと割り込むなど、見ていると人柄や日常の過ごし方が透けて見えるような社会性のないマイペースぶりも観察できます。何度通っても同じ傾向が見られるので、これはその地域ごとに、車の走らせ方を操るような不思議な力が、大地から出ているのではないか、と冗談半分で思っております。
車で道路を走っていると、道端にはいろいろな動物が車社会の犠牲になった姿が見られ、心が痛みます。山道は特に、シカやキツネやタヌキなどの大きな動物が犠牲になっている姿を目にすることも多く、ことに親子連れで親か子のどちらかが痛ましい姿になっていて、残された方が途方にくれている姿を見ると、こちらの心もたいへん痛みますが、通りすがりの私どもでは、どうしようもありません。どこかでこのようなことが起こっているのは事実ですが、見ないで済むのなら見たくありません。しかし、どうしても出張先から帰る際に夜間の車の移動が多い私どもは、田舎道でこうしたことを目にしてしまうことも多くなります。
国道や農道など、一般道は夜間の渋滞が少ないので、大型トラックの抜け道として、高速道路並みのスピードで使われていることも少なくありません。特に、高速道路の無料化をめぐり、道路行政がさまざまなトライアルで右往左往するたびに、また原油価格の高騰でガソリンの価格が高騰するたびに、コストや納期に縛られた輸送の現場では、たぶん身を削って工夫しているのでしょう。高速道路の方が安全で速いのですが、一般道が抜け道になってしまいます。そこには上で述べたような様々なことが起こってしまいます。
現代の文明社会は運輸・物流業の支えによって、潤沢な食料やそのほかの物品サービスに恵まれる幸せを成り立たせています。安さや便利さだけを提供者に無理強いする中で、配送コストを過当に引き下げたり、正確さとスピードを無理に要求することが日常化しています。それが自社の業績向上につながると誤解しているような会社も目にします。しかし、こうした行き過ぎた「強欲」は、めぐり巡って社会全体の安心安全を破壊する原因を作っています。商売において、相手に無理強いばかりして、うまいところだけを吸い上げようとする社会は、弱いほうへとツケがまわります。私たちがこうした道を往くならば、やがては誰もが自らが危ない目に遭うことになるかもしれない社会が待っている、ということを忘れてはいけないと思います。
外国もレンタカーで何度か走りました。イングランドやスコットランド、ドイツ、オーストリア、北欧など、さすがにどの国も人間に対しては驚くほど慎重に速度を落とし、歩行者の安全を最優先にしますが、野生動物への配慮は日本よりもドライで、あちらこちらに野うさぎなどの気の毒な姿があることに驚きました。一方で、日本では総じて通行人への配慮が低いように見えます。
軽井沢はかなり細い道が多く、幸いにも譲り合いの精神が生きており、多くの車はお互いに譲り合って、上手に動きを制御しながら気持ちよく行き交うことができるのですが、時にはサイクリングや散歩を楽しむ人が恐怖を感じるような猛スピードで乱暴に飛ばす車もいます。横断歩道で人が車の止まるのを待っていても、止まれるタイミングにもかかわらず無視していく車が多いのが実情です。このような車社会の危険から身を守るためなのでしょうか、軽井沢町の小学生は常時ヘルメットを着用して登下校しています。
余裕のない社会において車の犠牲になりやすいのは、弱い立場にいる歩行者であり、動物であります。誰もがこうした弱い立場に置かれてみれば、車の傍若無人な振る舞いがいかに愚かなものであるかが分かるはずです。ドライバーも、たまには歩いて道を往けば良いのです。そして町並みを歩く速さでつくづく眺めてみれば、世界が少し変わるはずです。
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