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■第48話 「土の道」 2012年6月20日
舗装道路が当たり前の昨今、土の道は懐かしい思い出として記憶の中にある人も多いでしょう。しかし、軽井沢においては土の道は現役です。
土の道は「埃」も舞い、田舎の象徴のようでいやだと思う人も多いのか、地元の人が住む住宅地は舗装道路化を望む傾向があります。
しかし逆に、土の道を「誇り」として、積極的に価値を認め、存続させていこうとする別荘地もあります。軽井沢の別荘地の名門として、多くの文化人が昔から集う某別荘地では、土の道であることを誇りにする、という別荘の憲章によって、その意義を明言しています。
別荘だけでなく、住宅沿いの小さな脇道は舗装されていないことも多く、私どもの自宅東側の小道もたまたま舗装されていませんし、ソフィアート・ガーデンに至る小道ももちろん無舗装です。私どもは土の道であることを歓迎しています。
土の道と言っても採石を転圧しているので、泥だらけになることは少ないのですが、草も生えますし、水たまりもできます。しかし、軽井沢は全体に浅間山の噴火による礫が多いので、水はけがとても良い地盤です。
水は低きに流れ溜まりますので、低地でしたらプールのようになりますし、逆に高い土地でしたら一時的には水たまりがあるように見えても、すぐに水が引いて跡形もなくなっています。自宅もガーデンも比較的高い場所にあり水はけの良い土壌ですので、大雨の後はすぐに水がはけてしまいます。
ガーデンに向う小道は、国道18号という幹線道路から、舗装された脇道に入り、最終的には土の細い道を経て敷地に着きます。その際に、土の道の積極的な良さを示す現象を見ることが出来ます。夏場、太陽がかんかん照りで暑い時にはとくに際立ってよく分かります。
国道はアスファルトの幹線道路ですので、日差しが強く気温が高いのですが、ガーデンに近づくにつれ、気温がぐんぐん下がります。
車についている温度計で見ると、たとえば一昨日は軽井沢にしては異常な暑さで、晴天の日中に国道18号で25度であったのが、脇道にそれて数百メートル(時間にして5分)でガーデンに到着した時には19度になってしまいました。その差、なんと6度。この時期の東京と軽井沢の気温差が数度と言われますが、軽井沢の中でもアスファルトの幹線道路と土の道の雑木林とでは同じぐらいの温度差を体験することが出来ます。
これは、強い日差しで暑い場合は顕著ですが、寒い時はあまり変わりませんので、むしろ土の道は厳しい暑さや寒さを和らげる、と理解した方が良いでしょう。
もちろん舗装によるか土によるかの違いと言うより、日陰になるような高木に覆われているか否かも影響するとは思います。しかし道路からの照り返しがないだけで、気温は確実に涼しくなります。さらに、森の中の土の道は、土を覆う草も相まって、木々の葉っぱの蒸散作用によって気温が下がり、穏やかな風もふくため涼しくなります。逆に冬はアスファルトに比べて凍結も穏やかですし、凍結による亀裂も土でしたら冬が過ぎればまた元通りになります。アスファルトは定期的なメンテナンスをしなければ、冬の凍結による亀裂がそのまま残り、だんだんぼろぼろになってしまいます。
雨台風の時に、特に思うのですが、東京をはじめとする大都市の低地部分で爆発的な都市型の洪水になることがあります。これは河川の氾濫もあるでしょうが、全ての道路が舗装されて水が地下浸透することなく舗装面を川のように流れ下り、低地へ集中することも原因のひとつでしょう。
森の木々を伐採したり落ち葉をすべて取り去ってしまうと、スポンジのように柔らかく水を吸収する森の治水機能が失われ、土砂崩れや山津波などを引き起こし、連鎖的に河川の氾濫や下流の大都市の洪水の原因にもなってしまいかねません。
昨今の原子力発電所事故により、「放射性物質の除染」の名の下で山の樹木を大規模に伐採したり、落ち葉を除去して土を固めてしまうことにより、今後の水災害の危険が増大するのではないかと気になります。同時に海洋も汚染されます。
山をいじるつけを負わされて困るのは、下流にある人口の多い大都市であり、土砂で汚染される海沿いの地域であります。山と平地、そして海とは、空からくだり落ち、下へ下へと流れる「水」によってつながっています。つまり「道」は、人や車の往来のみならず、水の道としても、すなわち第二の河川としても、国土をめぐっていることにもっと注意を払わなければなりません。
日本の治水技術は国土の困難な条件を克服し、水災害を減らす大きな貢献をしてきたことが知られていますが、その反面、河川の生態系や豊かな景観への十分な配慮がなかったのではないかと思われます。護岸がコンクリートで過剰に固められた殺風景な直線の河川を各地で目にします。こうしたことは治水上あらたな危険を増大させている遠因になっているのではないでしょうか。そして道も同様に、過剰に舗装することへの執着が、巡り巡って大規模な水災害を増大させる1つの原因になっていることはないでしょうか。趣のある土の道は、治水の観点からも見直されても良いのではないかと思います。
そもそも自然は人間の力では決して抗うことのできない巨大な力を有しており、いったん克服したかに見えても、いつかどこかで別の形となって現われてくるでしょう。自然相手に力ずくやスローガンは通用しません。冷徹に過去の歴史から学び、予測できるなら予測し、できないなら(災害に遭うことを、ではなく現象を)受け止める視点をもつのが妥当ではないかと思います。人災も天災も、起こるべくして起こるのですから。
ガーデンに至る小道は、雨が降れば水たまりができ、そこにはいつも水の好きな渡り鳥たちが水浴びに来て遊んでいます。車で通るとき、鳥たちは「せっかく楽しんでいたのに・・・」という表情で、私どもの邪魔な車を避けてくれます。そういうとき、いつも私どもは「ごめんなさい」と小鳥たちに謝りつつ、土の小道を通らせてもらいます。たまにアゲハも水を飲んでいます。カモも歩いています。カエルもぴょこぴょこ跳ねています。ですので、誰かが立ててくれた「時速10キロ制限」の看板は、実質時速5キロという歩く速さにならざるを得ません。
砂利道で左右に揺られながら、まるで農耕馬や水牛のようなゆっくりした速度で、こうした土の道を車を走らせる(歩かせる)とき、こんな道が世の中にはあってもいいのではないか、と思いながら、のんびりしてしまいます。夜、ガーデンから自宅に戻るとき、私どもは土の細道をカモたちを起こさないようにゆっくり車を走らせます。つい、そのままの気分で国道18号に出てしまい、ゆったりしすぎて後続車を困らせているのに気づき、アクセルを踏み直す、そんな毎日です。
ソフィアート ・ ガーデン物語
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