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■第45話 「梅雨の晴れ間」 2012年6月15日
梅雨の晴れ間、青空が見えると気持ちよいものです。ありがとう、と言いたくなります。 こういう日は早めに仕事を終え、久々に散歩がてら徒歩で用事に出かけてみます。
都会とは違って、軽井沢の生活は車での移動が中心です。油断すると運動不足で足が退化しかねません。ですから意識して、一人で外出するときはなるべく車を使わず、歩くことを心がけています。
徒歩でゆっくり歩くと、さまざまな風景や音や香りに、忘れかけていた記憶が蘇ったり、気づきや考え事がよくまとまるような気がします。そして散歩の途中、道すがら家や庭を眺めていると、住む人の心象風景がそこに如実に映し出されていることにおもしろさを覚えます。
いつもの散歩道で、自宅から離山通りの裏道の泉の里の別荘地を抜け、雲場池経由で旧軽井沢の大きな庭園の続く道を通り、旧軽井沢の商店街、そして地元の人たちの住宅や庭の横道を通ります。別荘は主に夏しか使いませんし、旧軽井沢の別荘は、いわゆる資産家が所有していますので、地元で生活している一般の人の庭とは全く趣が違うのは当然です。
別荘のような夏だけの住まいは、生け垣が落葉樹だけであっても夏は茂るので気にならないでしょうし、大きな地所が多いので大木がゆったりとして美しく手入れされた苔庭が広がります。そうした別荘地とは対照的に、地元で生活する人は生け垣にイチイなどの常緑樹を用い、季節の花が咲くコンパクトで手入れのしやすい親しみやすい庭を作っています。私は別荘地も住宅地もともに、住む人が心を込めて大切に手入れしている庭が大好きです。また隣り合わせの土地であっても、なぜこうまで違うのかと驚くことがあるほど、青々とみずみずしく美しい軽井沢らしい庭もあれば、除草剤で茶色く枯れた殺風景な庭もあります。
庭は、まさに「人となり」の鏡です。したがって、ソフィアート・ガーデンは、すなわち私どもの「人」としてのあり方がそのまま現われてくると思うと、ガーデン作りを通して、自分自身を磨くための修行をしているようなものかもしれません。
こんなことを散歩しながら考えるうちに、自分がどのような人間であるのか、改めて振り返ってみました。
考えてみれば,私
スタッフM
は人一倍、歩いて移動することが好きな人間です。子供の頃からそうです。幼稚園、小学校、中学校、高校とすべて徒歩数分〜15分程度で通学できる場所に住んでおりました。
東京では、大学は1,2年は「大山寮」という板橋区の学生寮から電車通学しましたが、その後は大学から徒歩5分ほどの小石川寮に居ました。
また、就職後も満員電車通勤を避けて、徒歩で通える場所を住居に選びましたので、長距離の電車通勤はほとんどしたことがありません。
その後、結婚、転居し、勤務先が異動したあと電車を使わざるを得ない距離になっても、基本的に歩ける部分は歩こう、と毎日片道2キロほどは歩いて、混雑した電車に乗るのを極力避けるような通勤スタイルを通していました。人ごみがとにかく苦手です。
営業や打ち合わせ、出張などの外勤が多かったのですが、日中は比較的電車も空いているので平気です。パーソナルスペースが人一倍大きいのでしょうか、他人との距離が近いのが苦手です。そこはシジュウカラやヤマガラなどのカラ類と似たところがあります。
そして自分の足で歩くことは、自分のペースで立ち止まったり、ふらりと脇道にそれたりしていろいろ観察することできますので(いわゆる道草を食うのが好き)、徒歩移動のほうが楽しいと思います。都心でしたら一駅や二駅分の移動なら、急ぎでなければ徒歩を選びます。
子供の頃は活発でしたので、放課後は友達とリレーをして遊んだり、木に登ったり、縄跳びやゴム跳びなどで動いて遊ぶことが好きでした。じっと読書したり勉強することは苦手でした。私の子供の頃は学習塾などはなく、唯一習い事はそろばん塾(昨今、そろばん塾なるものは存在するのでしょうか?)、という自然児でした。
学校の勉強は、予習復習はあまり(全く?)せずに、その場で自分の頭でゼロから考えることが好きでした。そうした面白さをもつ算数や理科は特に得意でした。
特に算数は放課後、友達にも勉強を教える役目を自主的に担ったり、意外に面倒見が良かったと思います。しかし暗記や記憶力が必要となるものには関心がなく、今でも関心がないものは絶対に覚えられません。関心があれば(植物の名前や人の顔など)一瞬見ただけで覚えてしまいます。
私は子供の頃から、弱い者や小さい者を軽視したり、理不尽な言動でいじめたり、その場限りのいい加減な嘘をつく人が大嫌いで、そういう卑怯な行為には敏感で、大人や教師であっても軽蔑しました。
家族や親戚、友人たちからは「優しい」と言われる気質で、悲しみ苦しむ人や動物を見ると自分まで涙をこぼして共感し、どうにか救いたいと思うような感受性の強い子供でした。一方で、気の強いところもあり、小学校低学年の頃に高学年の男子児童相手にけんかして打ち負かしたり、仲間を扇動して威張った同級生をやっつけたりすることもありました。(成長して何事も程々になりました)
いま、人間の都合よりガーデンの小鳥や虫、植物のことをいろいろ考えて庭づくりをしたいのも、子供の頃からのこうした感受性がそのまま生きているからであり、それは大人になって失われるどころか、強まる一方です。人間の言葉をしゃべれないからといって人間以外の生きものを傷つけたり殺したりすることを当然とする庭づくりには、まったく賛同できません。
こうして思い起こしてみると、子供の頃からの性格は生涯変わらないだろうと思いますし、10歳前後ですでに現在の性格の骨格が固まっていることに気づかされます。大人になるに従って世間を知り、単純で純粋なだけでは生きていけないという社会の実態に対する洞察も少しは深まり、人間関係を円滑に保つための世間知もつきましたが、基本的には今でも同じ性格です。
私どもがどのような人間で、何を考えてこのようなガーデンをつくっているのかということを知っていただくために、たまには自己紹介という形で自分自身を振り返ってみるのもいいのではないか、と思うままに書いてみました。
ソフィアート・ガーデンをつくるにあたっては、庭園設計の専門家に丸投げで頼むことは考えたことがありません。私どもは素人で稚拙であろうと、土地への愛と責任感は誰にも負けません。あくまでその土地を自分の目や耳や五感、そして直感で観察し、その地に住む生きものの声を聞きながら、周りの人々や自然の生きものにも喜んでもらえるように、長い時間をかけて作り上げていく庭づくりを目指しています。
ところで、今回で45回目を迎えた「ソフィアート・ガーデン物語」ですが、これからの目標数字として120話まで続けてみたいと思っています。理由というほどのものはなく、単なる思いつきですが。そういえば、人間の天寿は120歳との見方があります。100歳でもたいへんな長寿ですが、120歳は本人の努力というよりも天恵といえるめでたさです。
100話という数字は、一つのエッセイの区切りとして良いのですが、もう少しがんばって120話を目標数字としてみました。めざすゴールはまだまだ先ですが、ようやく折り返し地点が見えてきたところです。こんな調子で、ぼちぼちと駄文を書き連ねて見たいと思います。
ソフィアート ・ ガーデン物語
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