>> ホーム
>> 会社概要
>> 事業内容
>> ソフィアートの研修
>> 代表者プロファイル
>> 研修雑感・コラム
ソフィアート・ガーデン物語
>> 序 「案内係のMです」
>> 第101話〜第110話へ
>> 第111話「冬の群れ」
>> 第112話「香りを楽しむ」
>> 第113話「雪の足跡」
>> 第114話「木を切る」
>> 第115話「適度な距離感」
>> 第116話「回遊式」
>> 第117話「道を往けば 2」
>> 第118話「冬芽と葉痕」
>> 第119話「お茶の時間 12」
>> 第120話「春ふたたび」
>> 結 「終わりは始まり」
>> 連絡先
>> Coffee Break
ソフィアート・ガーデン物語
>>前の物語へ
>>次の物語へ
■第119話 「お茶の時間 12 −スミレの話−」 2013年3月15日
ソフィアート・ガーデンの雪も、日陰のごく一部を除いてすっかり溶けました。
冬の間の大地を温めてくれた落ち葉は、もうすぐ芽吹いてくるスミレのために、そろそろきれいに片付けなければいけません。あとひと月もすれば、ガーデンのあちらこちらからスミレが賑やかに芽吹き始めます。日当たりの柔らかなところには薄紫やピンクのかわいらしいスミレが咲き、冬もよく日の当たる雑木林のフカフカの腐葉土には濃い紫色のスミレが咲きます。
スミレは地域ごとの特徴もあり、自然交雑によって亜種のようなものも多いため、種類や名前を特定するのは難しいことです。
うっかりすると踏んでしまいそうなほどスミレは小さな花です。ゲーテの詩によるモーツアルトの歌曲では、「かわいそうなスミレ」は踏まれてもなお、幸せそうなやさしい花です。
スミレは地面からほんの数センチほどのところで花を咲かせていますので、地に這ってスミレ目線で観察します。ときには肉眼では見えないところをカメラのマクロ撮影で拡大して観察することもあります。
花の色はもちろんのこと、名前の由来といわれる大工道具の「墨入れ」に似た蜜だまりや茎の綿毛の有無、葉の形や斑の有無など、細かく見れば人と同じくたくさんの表情と個性をもったスミレファミリーに出会えます。
先週末は東京都心で用事をして過ごしました。その際に、日本橋の老舗百貨店の屋上にある『チェルシーガーデン』に立ち寄りました。この英国庭園を思わせる名のガーデンはスタッフMにとっては無料植物園のような存在で、数ある都会の植物観察スポットの中でも行きつけの場所です。
屋上の広場にはたくさんのベンチもあって、子供連れやビジネスマンがほっと一息ついています。ベンチで休んでいると、ふっくらとしたスズメたちが遠慮がちに近寄ってくるのは、優しい人に慣れた都会のスズメならではでしょう。田舎のスズメは人には決して近づこうとしません。
先日も屋上広場のベンチに腰掛けてスズメたちを眺めながら、持参のお茶でティータイムを楽しんだあとに、チェルシーガーデンの山野草やバラのチェックをしてきました。
タイミング良く、山野草コーナーには豊富な種類のスミレが並び生産農家の品種札がついていますので、日頃の疑問を解消すべく品種ごとの違いを観察しました。
その結果、ソフィアート・ガーデンに自生する美しい濃紫色の小さなスミレは、茎や蜜だまりに毛のある「アカネスミレ」という種類であることがわかりました。どこにでもあると言われる葉の細いスミレは軽井沢では(私は)見かけたことがありません。
その他、事典やインターネットサイトの写真や記述などで調べてわかったのは、薄ピンクや薄紫のスミレは「ヒカゲスミレ」、白いスミレは「ツボスミレ」らしいということです。ガーデン近くの川沿いの土手などでは「タチツボスミレ」がブーケのようにこんもりと咲いているのを見かけます。
思い起こせば、私どもがソフィアート・ガーデンと呼ぶ土地に初めて訪れたのは、2007年3月中旬のことでした。
私どもの所有となる以前は、ここには建坪100坪をゆうに越える大きな古い洋館や洒落たゲストハウスなどがあり、企業の保養所として使われた後、長らく米国人の宣教師一家が住んでいました。
私どもが土地の契約をするまでには建物は解体されて、ウラジロモミやハルニレ、イタヤカエデやシラカバ、コブシなど、20メートルほどの大木が何本か残るだけの更地になっていました。
宣教師一家はガーデニングが好きでさまざまな草花を植えて手入れしていた、と近所の人から聞きました。春のスミレ広場は今でもその名残が芽吹き、西洋種のスミレが紫と白の絨毯を広げます。
ところどころに自生のアカネスミレやヒカゲスミレなどが混ざることもありますが、華やかで大ぶりな西洋種は明るい日向が好きで、繊細でかわいらしい自生種は雑木林に守られた穏やかな日当たりを好むようで、お互いにうまく棲み分けています。
私どもがソフィアート・ガーデンの地と出会ってから6年が経ちました。ガーデンの土地との出会いがなければ、植物のことにこれほど関心を持ち、学び続けることはできなかったであろうと思います。
めぐる季節のたびに見知らぬ植物に出会い、観察し、名前を知りたいと調べ続けて、数年越しでやっと名前が分かることもありますし、未だによく分からないこともあります。
ある対象を好きになれば、もっと知りたいと思い、どうしたら喜んでもらえるかと本気で考えるものです。
そうして関心を持って見つめ続けているうちに、今まで見えていなかったものが次々と見えるようになります。結果として知識も習得しますが、その根底にあるのは好きな対象に「喜んでほしい」「安心してほしい」「幸せを感じてほしい」などという、愛する気持ちです。
「野鳥や植物に詳しくなろう」と考えて知識習得を目的に勉強するのではなく、野鳥や植物を愛する心に導かれて結果としてさまざまなことを知るに至れば、その知識は、やがては幸せを産み出す知恵へと高められるのではないでしょうか。
スミレを知りたくてスミレの花を摘んでしまえば萎れてしまいます。スミレを知りたければ身を屈めてスミレに話しかけるように愛でたい。植物を知ろうとするとき、ソフィアート・ガーデンでは、そんな知のあり方を目指そうと思います。
『 ソフィアート・ガーデン物語 』 第119話 「お茶の時間 12 −スミレの話−」
有限会社ソフィアート
スタッフM( 竺原 みき )
メモ(本文とは直接の関係はありません)
ソフィアート・ガーデン物語を読んでいただき、ありがとうございます。
次回の第120話と最終回の「結」でソフィアート・ガーデン物語は完結します。
今後はガーデンの植物や生きものの観察記録を弊社ホームページで紹介する予定です。
Copyright (C) 2013 Sophiart Inc. All Rights Reserved.