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■第102話 「木の愛 −与えるほどに豊かである−」 2012年12月5日

毎年たくさんの実生が芽吹く ソフィアート・ガーデンには、パートナーと私が植えた木がたくさんありますが、小鳥やリスが土に貯食した種、あるいは風で偶然飛んできた種が芽生えた、いわゆる「実生(みしょう)」の木が数えられないほどあります。数としては、人が植えた木より多いかもしれません。

これらの実生の木は、毎年、膨大な数が芽吹いては消えていきます。たくさんの芽吹きは、動物に踏まれ食べられながらも、ごくわずかですが残ります。草のように弱々しい芽が光を求めて葉を広げ、その枝葉の数に比例しながら木はゆっくりと生長します。

ガーデンには、第22話「小鳥の友情 2」で紹介した、ヤマガラのMくんが植えた実生のエゴの木があります。かつて家の庭の片隅に、Mくんは大好きなエゴの実をよく貯食のために埋め込んでいました。食べ忘れた実が芽を出し、何年かかけて30センチほど育ったところで、私どもは掘り起こしてガーデンに移植し、Mくんの木として大切に育てました。

Mくんです 移植した場所が良かったのか、年々大きく生長し、いまでは樹高2メートル以上、横に広がる枝振りの美しい健康な若木に育っています。鳥は木を植えることで、後世への愛のメッセージを遠い未来へ伝えているかのようです。

この木が見あげるほど高く枝葉を広げ、白い花が一面に咲くのは、たぶん十年後ぐらいでしょうか。その時はきっと、Mくんと同様にエゴの実の大好きなガーデンのヤマガラたちは、この木の枝に止まって嬉しそうに「ニーニー」と鳴くでしょう。ヤマガラのMくんは命を全うして森に還っていきましたが、Mくんのプレゼントを新たな命が受け取り、喜んで軽やかに飛翔するときを、私どもは楽しみに待っています。

かつて、ソフィアート・ガーデンの木を植える際に世話になった植木屋の親方の「畑」に、何度かお邪魔したことがあります。畑とはいっても植木の畑ですので、広大な山や平地に数え切れないほどの樹木が並び、一見すると美しい公園のようです。そこには実生や挿し木の小さな苗木から、段階的に五年物、十年物、何十年物などの若木や成木が整然と植えられています。

また別の場所には、山野の地権者から取得する権利を買って山から掘り出された、いわゆる「山採り」の見事な木がたくさんありました。畑で育つ形の整った木とは違って、厳しい自然が長い時間をかけて育んだ風情のある木姿です。表(日当たりの良い側で美しく葉が茂っている)と裏(枝も葉もまばら)がはっきりしているため、扱いが難しい木とも言えるでしょう。

山採りのヤマボウシ 山採りの木は、自然の風情と風格を持たせる庭づくりに欠かせない樹木で、大きなお屋敷や料亭、雑木の庭などで好まれます。

ソフィアート・ガーデンにも、山採りのヤマボウシを植えてもらいました。小屋のデッキからは梅雨時の白い花や秋の赤い実がよく見え、冬は枝に雪を乗せ、四季折々に良い姿を見せてくれますし、何よりガーデンの小鳥たちの大好きな木でもあります。そして山採りの風情は、昔からそこにあったかの如くに馴染んでいます。金額は畑の木とは桁違いですが、木の樹齢や山から掘り起こしてくる苦労を考えれば安すぎると思えるほどです。

親方から、山採りの中でも、最も気に入っている秘蔵の木を見せてもらったことがあります。誰が買いに来ても「絶対に売らない」そうです。親方がそれほどまでに気に入っている見事なヤマボウシの木は、樹齢は何百年か想像がつかないほどの風格で、小動物が潜り込める大きな洞がある大木です。これを職人さんが、たった一人で急斜面の山から人力で掘り起こしてきた、という話を聞いたときは、人とは思えない、山を動かす神通力のようなものを感じました。

樹木にかかわる仕事を見ていると、現代社会で失われがちな大切な視点を改めて意識します。

鳥のプレゼント? まず、樹木が商品ですので、年(十年)単位の時間軸の中で、段階的に「育てる」という視点が不可欠です。従来の日本社会も企業も、人や組織を長い時間軸の中で「育てる」という視点を大事にしてきました。今はどうでしょうか。外部からすばやく調達し、廃棄することも可能な消耗品のように扱われていないでしょうか。

また樹木を生業としている以上、そこには利益をあげて継続させることが必要ですが、長い間の過酷な労働、そして細やかな気配りや世話という中で育ってきたことを考えると、樹木の市場価格はあまりに安く、まるで見返りを求めず与えるために仕事をしているとしか思えないほどです。高齢化や後継者難などで、育てた木も山ごと手放さなければいけない場合もあると聞きます。

しかし「見返りを求めず与える」ことは「木の本質」なのかもしれません。むしろ木というものは、それほどまでに「豊か」な存在なのです。豊かだから与えるのか、与えるから豊かなのか、どちらでもよいのですが、とにかく豊かさの証は「与える」姿そのものです。

赤い色がきれい その反対は「見返りばかり求め、与えようとしない」ことでしょう。 たとえば、「いかに短期間で成果をあげて社会から認められるか、どれだけ多くのお金や名声などを得られるか」や「どうすれば相手より自分が有利になるか」ばかりが話題にのぼる社会は欠乏感が感じられ、豊かさとは無縁です。

困窮の時代、食べることや生きることに必死な時代なら「より早く、より多く獲得する」ことは必要かもしれませんが、むしろ「豊か」な時代であるはずの昨今、このような「貧しい」気持ちが世相として強まっているように見えます。

与えるほどに豊かである、という木の本質は、「愛」とも呼べるものです。木を見て安らぐのは、木の愛に癒やされるからかもしれません。毎年、たくさんの実を結び、無数に葉を落とす木を見あげながら、私もこんなふうに愛を惜しみなく与える人になりたいものだと思いつつも、実際は木の愛を受け取り、りんごや柿をおいしく食べる毎日なのですが・・・。

ソフィアート ・ ガーデン物語
有限会社ソフィアート 長野県軽井沢町長倉 2082-4


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