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■第108話 「美について」 2013年1月3日

モミに雪 美とは何でしょう。あるもの(有形、無形に関わらず)を美しいと感じるには、心とその対象の間の架け橋となる、「美」を知っていなければならないでしょう。

私たちは何を「美しい」と感じ、「美しくない」と眉をひそめるのでしょうか。「 美しい」と感じる心の働きは、どのようなものなのでしょう。

そんな漠然とした疑問を抱きながら、スタッフMは新年を迎えました。

整った容姿や様式だけでなく、日本の建築や庭園に見られるような非対称の美はよく知られています。あえて完成を避けて、未完成の部分をとどめておくという美意識もあります。
思想や文化から導かれる「美」は、「美意識」を導く文脈の背景を理解できなければ、そこで醸し出される美を共感することができない場合もあるでしょう。

また、国家や尊い何かのために身を捧げるという、戦いにおける美意識もあります。宗教における自己犠牲にも、一種の美意識があるように思えます。その行為や意識を「美しい」と受け止めてくれる対象がいてこそ、こうした美は成り立つものかもしれません。

雪は音もなく降り積もる 最近すっかり定着したクールビズという概念があります。暑い夏を涼しく過ごすために、服装を軽装にするなど無理のない装いを推奨するものですが、スーツ姿のままでネクタイだけを外しているのがクールビズのようになっているのが実情でしょう。

しかし責任ある仕事をしている人にとって、大事な場面で締りのない姿はあまり似つかわしくありません。暑くても平然と涼しい顔をして、上着一つ乱さずきりっとしたスーツにネクタイ姿(もしくは仕事に応じた制服など)で働く男性や女性を、私はとても「美しい」と感じます。美には絶妙な調和と緊張感が隠されており、バランスを欠いた姿や弛緩した雰囲気からは見出されないものです。

無心で仕事に打ち込む気迫やにじみ出る責任感がその人を輝かせます。凜としたストイックなまでの姿には濁りのない透明な空気が漂い、神聖な趣すらあります。

私はそのような姿を美しいと感じるのですが、あるいは「そんなやせ我慢なんて自己満足に過ぎない、気楽が一番だ」という人もいるかもしれません。しかし、美は精神であれ形であれ、凡庸を超越した高みにこそ宿るのではないでしょうか。

日の出は小鳥たちのコーラスで祝福される どのような人であれ文句なしに「美しい」と感じるものがあるとすれば、それは自然のもつ美しさでしょう。

たとえば、朝日を迎えて雲が薄紫にたなびき、一筋の光が山の稜線からあふれ出て雪の峰を照らす姿は、誰が見ても美しいものでしょう。それがニライカナイの海の彼方から迎える朝日であっても、美しいことに変わりはありません。朝日に照らされる顔はあかあかと希望に輝き、自然の美の圧倒的な力に心をひれ伏し、この神々しい光をまぶたの裏に焼き付けたいとばかりに見入ります。

ご来光に照らされていると、太陽の輝きこそが美の本質なのではないか、と思います。日の光そのものだけでなく、それを受けて輝くもの、そして内面から輝きが溢れるような姿や生き方、姿勢などの放つ「光」が、美しさの正体ではないでしょうか。見る人があこがれの気持ちを抱き、まぶしさをもつもの、いわば太陽の分身のような「陽の美」といえるものです。

一方で、光には影がつきものです。「陽の美」だけでなく、妖しい薄衣に見え隠れする美もあります。これは官能的で繊細な美で、 明るい光で照らされてしまえば、その魔力はたちまち失せてしまいます。「陰の美」とでも呼べばよいのでしょうか。

冬の軒先の飾りになります 真夏の燃え盛る陽光に照らされた白日の街中から、逃げるように薄暗い森の中に入ったとき、木漏れ日の優しさにホッと一息つき、苔やモミの木を渡る涼風の香りに思わずうっとりしてしまいます。このときに感じる繊細でかすかな美も、陰の美に属するものでしょう。こちらも私にとっては欠かせない美です。

小鳥たちの美しさは、冬に極まります。ふっくらとした羽の色艶は健康そのもの、カラ類の羽の黒はビロードのように艶があり、グレーやモスグリーンは絹糸のようです。カケスの鮮やかなコバルトブルーやカワラヒワのレモンイエローが、素早い動きの中に一瞬見えて、はっとさせられます。まるで、仕立ての良い上品なダークスーツの紳士が、ふとした動きで洒落た裏地がちらりと見えたときのような、センスの良さが感じられます。

全く、冬の小鳥たちを見ていると、自然の配色の妙と粋な遊び心、そして何より健康そのものの躍動感が、人には到底まねのできない美しさを感じさせます。

陰の極にある冬には日の光と雪と小鳥達によって「陽の美」を感じ、陽の極である夏には木漏れ日で「陰の美」を感じることができます。四季の陰陽と美の陽陰が融合し、美の持つ高揚感と力で心が生き生きとして元気になります。

私どもがめざすソフィアート・ガーデンの姿は「生命力のある美しさ」です。そして、自分自身も、生き方や立ち居振る舞いのように自分で何とかできる部分ぐらいは、美を意識して多少なりとも磨いていきたいものだと思っています。

ソフィアート ・ ガーデン物語
有限会社ソフィアート 長野県軽井沢町長倉 2082-4


メモ(本文とは直接の関係はありません)

あけましておめでとうございます。
ソフィアート・ガーデン物語にお越しいただき、ありがとうございます。

最終回の120話まで残りわずかですが、ソフィアート・ガーデンの四季を締めくくる冬の素晴らしさを、
最後まで心をこめて書いてみたいと思います。

 
 
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