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■第16話 「慈雨」 2012年5月1日

これからの時期の軽井沢のすばらしさは、私が拙い文で苦労して表現するまでもなく、多くの人がよくご存知のとおりです。

東風吹かば・・・ガーデンの東側に植えてます 一雨ごとに、みるみる育つ草木、朝露を含んだ新緑は、生まれたばかりの繊細な産毛まで光を帯びます。五行で言えば、「水」は「木」を生む自然の理であります。

やがて季節は、エネルギーの満ちあふれた夏という「火」の季節へと移行していきます。巡りの節目である立夏、立秋、立冬、立春それぞれの前に、五行の変遷は「土」に戻り「土用(どよう)」となります。そして、もうすぐ「立夏」である5月5日を迎えます。

軽井沢の遅い春も、ようやくコブシの花を見、里桜の開花を迎えるこの時期になると、あちらこちらで枯れ葉や堆肥をすき込んで真っ黒い土を耕す人の姿が見られます。まるで温かくなって虫が地中から這い出てくるように、私どもと同様、多くの人々が家に引きこもってはいられず、どうしても家の外に出て、大気や土や苗に触れたい、そういう押さえがたい衝動が起こります。家の用事をしようと思っても、つい窓の外に目が行き、ふらっと庭に出てしまうと、そのまま用事を忘れてしまいます。大変困ったものです。

霜注意報がなくなるまで、もう少しの辛抱です。やがてカッコウが鳴き、もう霜は降りないのだと私たちに知らせてくれます。その声を聞くと、一斉に苗を植え始めるなど、いろいろな動きが加速します。すでに早い畑では苗を植え始め、黒いマルチングのシートで保温している光景が見えます。

軽井沢は霧が多いため、畑を耕す土埃が押さえられて、畑の近くでも空気に潤いがあるのが幸いです。霧雨が慈雨となって、自然の草木だけでなく、畑の苗の成長を助けます。植物にとって日差しと同じように、雨の水は恵みです。人も畑も野生の生きものも、やさしい雨を源とする水によって土埃が洗い流され、きれいな姿に戻ることが出来ます。 今回のソフィアート・ガーデン物語は、私どもの心の土埃を洗い清め、自然と向き合う姿を教えてくださった、慈雨のような方々のことをお話したいと思います。

日差しがまぶしい 私どもは大学を出たあと、そのまま東京で仕事と生活の場をもっておりましたので、自然に対する関心や知識はたいしたものではありませんでした。それぞれが自然の大変豊かな地で育ったので、「自然」とは、あえて関心を持つ対象というより、普段の遊び場であり、日常であり、空気のような存在でした。どちらかと言えば、活気にあふれた街中への関心が高く、ふたりとも音楽と美術には人並み以上の関わり方をしてきましたので、休日はたいてい街中で、そうした多様な興味と関心を満たして過ごしていました。

学生時代から私は日本各地を気ままに旅するのが好きであり、パートナーは外国を旅してきましたので、一緒になってからは、ともに国内外の各地を旅することを楽しみました。旅行先では、普段意識せずにいた「自然」というものを対象として意識することが多々ありました。ときには、作られた自然(大規模庭園など)のこともありますが、たいていは旅程表の無いバックパッカーのような旅の途中に、ふらりと立ち寄って出会った自然に心惹かれました。たとえばフィンランドの誰もいない森の木漏れ日やそこら辺に自生する木苺の輝き、あるいはスコットランドの田舎町のB&B(ベッド&ブレックファースト)に滞在して、広大な見渡す限りの平原でのどかに草を食む羊や野ウサギの愛らしい姿や、サーモンが泳ぐ清らかな川沿いを語らいながら散策し、夕暮れには小さなコンサート会場に正装をして集まりクラシック音楽を楽しむ人々の、なんとも心豊かな姿に混じって一旅行者として眺めるうちに、なんだかすてきな姿だなあ・・・という淡い憧れを抱きました。そうした大人の姿は「自然」と「人」との関わり方の一つの理想となりました。

コブシと山桜が美しい(2012年5月1日撮影) 初めて軽井沢を訪れ、ここに住むことになった経緯はすでに第3話「木の香り」でお話ししましたが、同時にその頃は会社を立ち上げたばかりであり、東京時代と同じ感覚で過ごしておりました。そんなある日、電話が鳴りました。

初めてお話しするそのご婦人は、私どもの親の世代よりもかなり年齢が上であるにもかかわらず、いただいたその電話からは、蕩々とわき出る泉のように迫力あるお話が次々と飛び出します。圧倒され、すぐにお目にかかる機会を得ました。この一本のお電話が、のちの私どもの「ソフィアート・ガーデン」へと導くきっかけとなったのです。

お名前を申し上げると、軽井沢に関係する人の間では知らない人はいないと思いますので、ご迷惑にならないように差し障りのない誰もが知る事実だけ紹介します。 その方のご親族は、その昔、軽井沢にカラマツ700万本を植林し、軽井沢の現在のすばらしい景観と文化を形作る基礎を築いた大事業家です。御尊父は、軽井沢夏期大学の再興にご尽力され、また軽井沢町の名誉町民である御母堂とともに大学関係者をはじめとする文化人の集う地域「友達の村」をつくるなど、軽井沢の歴史を語るうえで欠かせない存在です。そして、ご夫婦自らも軽井沢の自然と文化を育む活動を中心となって支えてこられた尊敬すべき方です。まさに軽井沢の緑を慈しみ育み、人の心の中の土埃を洗い流し、知を芽生えさせ、育てる慈雨のような教育的な指導を惜しまないお二人です。

植物に名札や解説があるので学びたい人は散歩におすすめ そんなご夫婦が、私どもの母校で教鞭を執っておられる旧知の方の親族というご縁で、私どもにお電話をくださったのです。それがきっかけとなり、ご夫婦のご自宅に伺って、軽井沢の別荘文化の歴史や、軽井沢における自然との関わり方などについての大きな気づきを得ることができました。

お話の一つひとつに、また会話の中ににじみ出る軽井沢の自然と文化へのあふれんばかりの愛に、私どもはただ驚き、こんな人が世の中にいたのだと学ぶことしきりでした。著名な建築家であり、大学教授を務められたご主人の設計で建てられたご自宅からは、自然の中に溶け込みさらにその場を洗練されたものにする設計思想が感じられます。そして自と他を厳しく分ける仕切りや垣根を造らず、ゆるやかに外につながる自然豊かな庭が広がっています。窓の外を眺めながら「もっと下枝を払わなければいけないけど、あの枝はキジが隠れるために必要だから・・・」と恥ずかしそうに静かにおっしゃる言葉に、「鳥のために自らのやるべきことを考えている人がこの世の中にいる!」と感動したものです。

その後もご夫婦のご自宅に伺ったり、大賀ホールでのコンサートなどでもお会いしたり、またお招きに預かったりと、幸せなご縁が続いていることをありがたく思っております。

「町民塾」として開催されました。 そのご夫婦が中心となり、何度か自然観察会や野鳥の学習会が開催されました。私どもも参加し、そこで藤本和典氏のお話を聞きました。

藤本氏は日本野鳥の会を経て現在はシェアリングアース協会代表であり、NHKラジオ「子供科学電話相談」鳥を担当なさった方です。何枚もの写真をスクリーンに映し出し、この鳥は?この木は?この草花は?という質疑応答に、会場に集う方々は「もちろん知っています」という余裕の表情です。
しかしその時は、私どもには草木や野鳥の種類はさっぱり分かりませんでした。


こうした勉強会や観察会を経て、俄然意欲が湧き、毎日のほとんどを軽井沢の自然をはじめ各地の行く先々への観察と学びを繰り返すうちに、今では少しは詳しくなったと自負しています。とはいえ、学べば学ぶほど「知らないということを識る」にとどまる状態です。

しかし、私どもの心に芽吹いた自然を知ることへの知的好奇心と愛は、こうした恩ある方々の慈雨に育てられ、確実に根を張り、育ち、もはや枯れることはなくなりました。

ソフィアート・ガーデンという形になった今度は、私どもが慈雨となって、私どもがかつてそうであったように、心の土埃を洗い流し、誰しもが心に持っている種を芽吹かせるお手伝いができれば、こんなに幸いなことはありません。
やがてソフィアート・ガーデンは、私どもの手を離れ生態系へと成熟していくことでしょう。その日を待ち望みながら、草木を育てる霧雨を眺めることにしましょう。


 『 ソフィアート・ガーデン物語 』 第16話 「慈雨」 
有限会社ソフィアート スタッフM( 竺原 みき )


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