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■第13話 「学びの場」 2012年4月26日

弊社は、教育をメインとする会社ですので、大人の学び、というテーマにはとても関心があります。ここでは教育学という領域ではなく、ソフィアート・ガーデン物語として、学びについて考えてみたいと思います。

鳥、樹木、山野草、山菜、火などなど 私たちは皆、学校で教えられ、あるいは大学などで自らテーマを設定し、探求をしていきます。そして社会人として会社や組織、あるいは専門家として生きた世界を相手に、常に現れてくる問題や課題に自分の解を出して切り開いていきます。もちろん、そのためには常に学び続けなければいけませんし、次の世代へ教え伝えていくという使命も担っております。

忙しく社会の中で働く日々、その中で人間の活動を学びのテーマとして切磋琢磨する人は少なくありません。一方、大人になってから学ぶ対象として教養としての自然科学や人文学をどれだけ大事にすることができるでしょうか。

特に企業や団体などに所属し、その教育研修というテーマの中で、教養という分野を意識した学びの場は、以前はともかく、現在は大変少ないように見受けられます。自分の所属している組織に、こうした教養としての学びの場を求めることは、どうやら今の時代は困難に思われます。

浅間はお散歩中・・・ しかし、自分の足下や頭上のこと、つまり大地や天体、気象や地震動による自然災害など、多くの人智を超える事態を目の当たりにして、もっと人は自然について自ら学び続け、自分自身を、そして大事な人々を、ひいては共同体をいかに安全に保つか、そして生活をしっかりと変化に備えたものとしていくか、という視点で考えていくことが重要です。特に昨今の動乱を経て、私はその重要性の高まりを実感しております。

ところで、軽井沢町では、8月はじめに「夏期大学」として開催される歴史ある大人の学びの場が、先人文化人の方々の努力によって続けられています。

軽井沢夏期大学は、大正7年に新渡戸稲造氏や後藤新平氏ほかによって創設され、戦前戦後は中断されていたものの、その後、早稲田大学の市村今朝蔵教授ほかの努力により再開され、現在に至ります。毎年統一テーマの下で、一流の学者の講義を聴講することができます。私どもも毎年、たいへん楽しみにしており、時間の許す限り学びに行っております。

浅間山麓の黒ボク土 2010年に聴講した京都大学前総長・京都大学名誉教授の尾池和夫先生の講義は深く心に残るものでした。

先生は、「変動帯に生きる」と題して、浅間山をはじめとするたくさんの火山とプレートに囲まれた日本の宿命を、関連する多彩で深い教養とともにお話しされていました。その中で、特に印象に残ったのは、「争いなどせずに、みなさん最後はきれいな石油になりましょう」と西のイントネーションの言葉で飄々とおっしゃった言葉です。

その後、火山や地震、それにともなう自然の諸現象による人間社会への大災害を目の当たりにするたびに、尾池先生の「変動帯に生きる」という講義、そして「きれいな石油になろう」という究極のゴールを思い出します。

こうした自然の諸現象を学ぶ手段として、樹木や草、地層、石など、自分たちの足下を学びの目で見直すだけで、どれほど多くのことが学べるのか、想像もつきません。私どものソフィアート・ガーデンは毎日が学びの場であり、一つの草木の芽生えから成長、そして植生さらには地質の観察を通して人類以前の過去まで学びの対象となります。軽井沢の地表の観察だけでも、浅間山噴火の影響をさまざまな形で見ることが出来ます。

掘れば大地から浅間石が出てくる場所は・・・ 蹴飛ばしている石ころ一つにも何万年(以上)もの歴史があります。樹木の観察、という私どもの趣味は、実は大地の観察であり、最終的な目的はそれらを通して自然の諸現象の洞察をしたいということにあります。

2009年の秋には、浅間山2000メートルの地にある「アサマ2000パーク」で開催されたインタープリターなど浅間山麓のガイドを養成するための講習会(浅間山麓国際自然学校)にも参加し、そこで東京大学名誉教授の荒牧重雄先生の講義や登山実習に出ました。

それまで、私どもは、地質学や火山学について専門的に学んだことはなかったため、ハードルの高い専門知識も多少あったものの、継続して自分で学び続けるための視点を得ることが出来ました。荒牧先生のお話の中で「浅間山の噴火を嘆き、浅間を悪く言う民宿の主人」の話の出た文脈の中で「浅間がなければ浅間山麓の豊かな自然はないし、火山の豊かな恵みも無い、ただの平凡な里山に過ぎない」というような言葉があり、この言葉もたいへん印象に残っています。自然の恵みと自然災害は、実は一つの現象の裏表に過ぎないのでしょう。

尾池先生の講義の言葉を借りれば「変動帯に生きる」私たちは、その自然の中で恵みを受ける以上は、災害を避けるための学びと備えと覚悟をしっかりしておき、ついにそのときが来れば、せめて「きれいな石油になる」べく日々精進するしかないようです。


 『ソフィアート・ガーデン物語』 
有限会社ソフィアート スタッフM( 竺原 みき )


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