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 分析とフレームワークの功罪 〜「使われる」から「使う」へ〜

(有)ソフィアート 代表取締役 竺原雅人

【キーワード】
フレームワーク、借り物のツール、ビジネスの文法、分析症候群、経営の意思、逆転の発想、アタマの体操、
戦略の実行、戦術

【サマリー】
フレームワークは便利なものである。しかし、使いこなすのは難しい。ツールに振り回される人、情報を吟味せず穴埋め的に利用する人もいる。分析そのものの精緻さを求めるあまり、行動のタイミングを逸することもある。大切なことは、目的に応じて使い分け、未来を拓くために活用することである。

【本文】
今日、日本国内を見る限り、旧来型の市場の多くは低成長もしくはマイナス成長の時代を迎え、企業、団体、大学等を取り巻く事業環境はますます厳しさを増している。そんな中で、これからの活動に役立てようと、組織のさまざまな部門でフレームワークが活用されるようになっている。競争力を分析するための枠組みとしてのSWOT(strength,weakness,opportunities,threads)はその代表であり、バリューチェーン、5Forces などもなじみがある人が多いだろう。あるいは関連して、BSC(バランスト・スコアカード)やブルー・オーシャン戦略などの経営手法やアプローチも今や一部のスタッフ部門の専売特許ではなく、広く知られるようになってきた。

しかし、フレームワークの無批判的な利用や傾倒には危険が伴う。自らの頭で必要な視点や枠組みを「考える」ことなく、出来合いのフレームワークに頼り切り、とりあえず情報を埋めていくといった、いわば穴埋めテストの回答のような行為もみられる。フレームワークが考案された時代の環境と今日のそれとの違いを考慮しないまま、切り貼りした情報を吟味しないまま当てはめ、分析ができたつもりになってしまう人もいる。

以下、研修の中で感じたことを中心に、分析やフレームワークの活用において気をつけるべきことなどを述べてみたい。

筆者が担当するビジネス系の研修では、事前課題として各自が関わる事業を分析してもらうことがある。研修に持参された事前課題の中には、必要な要素が盛り込まれた、わかりやすく、詳細な分析もある。その資料をもとに勇ましいプレゼンテーションをされると、聞き手はつい圧倒されそうになることがある。しかし、同じ人が、事例企業の情報をもとにして分析ツールを活用するための簡単な演習を行うと、事前課題の水準からは想像できないような出来映えのことがある。

事前課題には職場で閲覧可能な「構想と分析」が流用されることが多い。もとの資料は、専門部署が時間をかけて検討したもので、見た目も立派で、必要な情報が過不足なく盛り込まれている。したがって、事前課題における分析は、よくできたものになっている。

しかし、その資料がどんなに優れたものであっても、それだけでは、研修参加者(多くの場合はマネージャークラス)にとって、「借り物」に過ぎない。なぜならば、多くの場合、資料で示されている構想の骨子や分析のレベルと、当人の現実の裁量、行動のレベルとが乖離しており、そのギャップを埋めるための方法が認識されていないからである。

一方、研修の中での演習では、どんな簡単なものであっても、「自分で考える」というプロセスが組み込まれる。一種の頭の体操である。自分なりに事象を結びつけ、原因と結果を考える。強迫観念もなく、自然体でリラックスして行うので、率直に、疑問を交え、ストーリーを考えることができる。こうして、事例企業の事業活動のメカニズムを自分の言葉で説明することを通して、「ビジネスの文法」を学習することを目指している。

事前課題で立派な分析を用意しても、それが借り物である場合は、こうした演習で戸惑い、切れ味がよくない。わかっていうようで、わかっていない、ということはよくみられることである。一方、事前課題の水準が高くなくても、こうした演習で鋭い指摘や着眼で輝きを放つ人もいる。要は、自分のアタマとコトバで理解できているかどうかである。

マネージャークラスという立場上、戦略の実行を担っているはずであっても、戦略を説明する原理を持っていないという人は少なくない。戦略に対する戦術レベルの考察と行動、検証がないまま、戦闘のみに目を奪われていることも多い。結局のところ、自分で意識していたはずの「構想と分析」は、実質的にはスローガンに過ぎなかったのかもしれない。日々の行動とそれが紐付いていないからである。

限られた経験を補う枠組みとしてフレームワークは有益であるし、自分が不案内なことを分析する際は、フレームワークを使うことで事業感覚を磨くこともできるだろう。しかし、無批判的に利用しようとする人は、結果としてはツール(フレームワーク)に振り回されているだけである。そうした行為からは何のインプリケーション(示唆)も得られず、単に作業をしたというだけの当事者の自己満足に終わってしまう。

フレームワークは、つい見落としがちなことをも含めて、「考える」ための視点である。しかし、熟考することの手間暇を省く意味で、借り物としてコピーペースト的に使おうとするならば、決して使えるものにはならないであろう。

そして、考えるということに関して、もう一つだけフレームワークを用いる際の留意点ついてふれてみたい。

現実のビジネスにおいてフレームワークを活用するうえでは、経営の意思が欠かせない。経営の意思とは、決断の大前提となる柱である。企業、団体においては、理念とかビジョン、使命などがそれにあたるし、もっと身近なところでは戦略や方針などに表される進むべき道も含まれよう。

たとえば、強みや弱みを分析するといっても、強みが弱みに転じることもあれば、弱みだと思っても角度を変えてみれば強みになりうることもある。これは、時代や経営環境の変化によるだけではなく、逆転の発想と素早い戦略への展開によってもたらされるものでもある。それらを支えるのが、「一念、岩をも砕く」意思である。

かつて文具メーカーのプラスの一事業部としてスタートしたアスクルなどは、ユニークな着眼と行動で、弱みを強みに転換させることができた典型といえるだろう。また、事業を始めた当初は、多くの関係者から称賛されるどころか、勝算がないとみなされたヤマト運輸の宅配事業やセコム(旧:日本警備保障)の警備事業が開花したもの経営者の一念あってのことといえよう。意思をもたないまま、両者の創業期の競争力や事業性を“無難に”分析したとすれば、その後の成長、発展は想像できないに違いない。

翻って、自分たちはどうかなのと自問すれば、それだけの覚悟を持っていたのだろうかと反省に迫られる。経営の意思とは反対に、分析のための分析、無難に乗り切るだけの分析、言い訳のための分析・・・など。時には分析症候群とか、分析あって行動なし、というような風景を目にすることもある。

少し前に、中国ビジネスの指導に携わる中国人コンサルタントからはこんな話を聞いたことがある。「中国の市場は想像を絶するほどの変化している。しかし日本の大企業クライアントは1年半以上前の調査報告書を今も詳細に分析、検討し、社内での稟議、調整にじっくり時間をかけている。その間、市場は自分の強気の予想を遙かに上回る規模とスピードで変わっている。行動を起こそうと思ったときは、すっかり様変わりしているはずだ。」 この例は、分析依存症なのだろうが、手続き自体が目的化している。何ための分析なのかと問いたくなる気持ちはよくわかる。

今ではフレームワークなどのツールに使い慣れた人は多い。きれいに分析され、ビジュアルに表現されている。が、それが、実際のビジネスで、使え、勝てるものかと言えば別である。ツールに向き合うための姿勢や覚悟がないと、使い切れないものである。刃物やダイナマイトを取り扱う人は、それ相応の覚悟と責任を持たなければならない。よい刃物(刀、メス)があればよい仕事ができるというわけではないのである。

2012年6月22日 記

竺原雅人
 
 
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