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 ■2004年1月4日
 妙なる調和をめざして
 ■2003年11月17日
 住宅をめぐる本末転倒
 ■2003年9月22日
 指揮者とオーケストラの
 コラボレーション(2)
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過去に掲載したコラムです。

■2004年1月4日  妙なる調和をめざして

(有)ソフィアート 代表取締役 竺原雅人

私は年末年始を郷里で過ごしましたが、そこで調和の意味を考える2つのシーンに出会いました。
一つは、ある都市の新興の住宅分譲地の近くを通りかかったときの光景です。赤茶色の屋根、板張りと漆喰壁で統一された家が延々と立ち並んでいます。比較的丁寧につくられた町並みで、決して安直なデザインでは無く、ディベロッパーのこだわりが感じられます。しかし、かなりの数に及ぶ住宅が全て同一の仕様であることから何とも言えない違和感を覚えました。統一コンセプトの下で開発されても、ランダムな要素や個々の建物の主張を排除されると、そこに現れる姿は調和では無く、計画経済や画一的配給を見る思いでした。こうした違和感を増幅したのは、この造成地の光景が周辺とマッチしていなかったからかもしれません。

今ひとつは、倉吉市(鳥取県)が観光名所として力を入れている旧い町並み(川沿いに並ぶ白壁土蔵)を歩いた時のことです。風情を感じる町並み部分は限られており、そこに連なる旧市街地の多くは、もともとは同じ様な町並みでありながら今では夫々の思いだけで改築、新築され、若干の民家だけが昔ながらの姿をとどめる形で手入れされています。部分的に町並みが保存・再生されても、それがわずかな空間にとどまっていては、これまで築いてきた本来の町の姿が伝わらないのです。せめて景観に関する条例を定め、新築や改修についての基準を示して欲しかったと勝手なことを考えた次第です(場合によっては景観を保全するための補助金を出してでも結果的に安く、魅力ある町並みの再生ができたのではないかと思ったわけです)。
この点、私が移り住む軽井沢は、環境保全のため風致地区を定め、土地の分筆に最低基準を設け、屋根の色や形、その他に一定の制限を設けています。歴史、文化の異なる二つの地域を単純に比較し論じることは無謀ですが、故郷の無秩序な街づくりを見るにつけ、つくづく景観条例の意義を痛感します。

ニューハウンの町並 私は町並みを歩いて眺めるのが好きで、これまで欧州をはじ
め十数回にわたり各国の町並みを訪ねましたが、素晴らしい
町並みには例外なく程よい調和があります。そして、どんなに
似通った形の家、屋根であってもそれぞれの独自のささやか
な個としての存在が感じられます。
ドイツやイタリア、オーストリア、英国などで見ることのできる
中世以来の町並みや山の麓の小村、オランダやベルギーに
おける珠玉とも形容できる可憐な小住宅の窓辺の風景、あるいは近代的な北欧の町並みを見てそう思います。そこには生活の知恵、伝統が息づいており、気候風土や文化と一体となって育まれた生活の息吹が個々の建築物の主張を包含しているかのようです。例えばデンマークのニューハウンでは、個々の建物は自由な色づかいを楽しんでいるかに見えますが、地域全体ではそれらがうまく調和し、独特の風情を醸し出しています。全体の調和の無いところには個々の主張はあってもそれらが生き生きと感じられず、同時に個が全体に埋没してしまっては全体が輝かないものです。

これは組織マネジメントにも関係するテーマですが、かつてテレビで見たシーンが思い出されます。十数年前、日本の音大オーケストラを指導した著名なイタリア人音楽家は、オーケストラのメンバーに対して、「合わせようとして合わせないでください」と訴えました。五線譜の縦の線を合わせる、あるいは周辺の楽器の音を合わせるということを狙うのではなく、作曲家のイメージした曲作り、音作りをすることによってハーモニーが築かれるということを言いたかったのではないかと思います。言い換えれば理念による統一です。バイロイト音楽祭は、夏のワグナー楽劇上演のためにドイツを中心に世界中からオーケストラプレーヤーが集まります。かれらはワグネリアン精神で結ばれるテンポラリーなプロ集団です。ワグナー芸術あるいはこの祝典劇場の音楽祭に共鳴し、その精神を踏まえて個々の主張をし、それぞれがぶつかり合うことによって、えも言われぬ調和を醸し出します。「理念に基づく調和」と「統制による画一」との間には「個の意思」「自発性」という大きな溝があり、結果としての輝きも雲泥の差です。

こう考えると、調和とは結果として実現する姿であって、ある理念、価値観の下での主体的な営みを必要とするものと言えます。したがって、調和のための関与(たとえば管理や規則、規制)は、関係者が賛同、共鳴する価値観を維持し発展させるために必要であり、理念に基づきなされるべきものです。しかしながら、我々の社会には調和に似て非なるもの、すなわち統制、遠慮、迎合、様子見、横並びなどが相俟った「似非調和」が多く、「調整」と称して理念無いまま引き算をし、形だけのバランスを優先している例は枚挙に遑ありません。しかし私の考える調和とは、決して足し算でも引き算でもありません。

「妙なる調和」とは、個の主体的存在を前提として、全体が統合的に輝く状態であり、その実現のためにはしっかりとした理念や価値観の表明とそれへの共感が不可欠です。街づくりも音づくりも組織づくりも価値づくりそのものであり、価値や理念、ビジョンの下での個々の参画者のコミットメントなくしては何も生まれないということを冷徹に見つめる必要があります。調和の意義を見つめ、調和を実現するための諸要素と行為を吟味することから私の2004年はスタートします。
 
 
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