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過去に掲載したコラムです。
■2003年11月17日
住宅をめぐる本末転倒 〜住宅についての断章〜
(有)ソフィアート 代表取締役 竺原雅人
今般、オフィス新築を機に住宅に関心を持ち、調べているうちに住宅建築には予想を超えるさまざまな問題が山積していることに驚きました。健康で快適に生きるための住宅が健康を蝕み快適さとは程遠いあり方をしている現状と、その一方で住まいとしての本来のあり方を求めようとする人々の試行錯誤を知るほどに、住宅を取り巻く世界は大きな転換期に差し掛かっているのではないかと思います。
近年、新築病やシックハウス症候群が社会問題となっています。そして「健康住宅」ということばが登場し、健康に快適に生活することができることが特別視され、自然素材が注目を集めています。また、住宅建築に関する規制が強化され、ビニールクロスや接着剤を多用した合板などホルムアルデヒドが心配される部材は改良を迫られています。
こうしたなかで建築基準法も見直されました。同法には「2003年7月以降に新築、リフォームする建物に24時間換気システムの設置を義務付ける」というものがあります。しかし、24時間計画換気を必要とする家を前提にする、ということが不自然です。気密のあり方や建材の使用に関係なく同法を施行するのは本末転倒です。こうした本末転倒が、国民が代々培ってきた住まいの質、生活文化の質を破壊しかねないと私は危惧します。
結局のところ、住まいの科学が進化しても、住まいの健康はむしろ退化していたわけです。このように住宅を取り巻く世界においては、個々の技術の進化と住居の総体としての退化(そして文化の退化)が同居しているという現実を随所に見ることができます。
最近の住宅では無垢の木よりも集成材や加工材が用いられることが多くなっています。木の特性を熟知した棟梁が「適材適所」を実践した住宅建築の世界は過去のものです。木の本来の持ち味を活かすことへの関心は薄くなり、お手軽さ(当面の使い勝手の良さ)が優先され、加工した結果の(実際の風雪に耐えたわけではない)機能/性能表示に関心が集中します。そのため、ハウスメーカーや工務店の中には、かつては土台として用いることのなかった不適材に防腐剤をたっぷり吸わせて使用してしまうところさえあります。技術の進歩によって、とりあえずの機能を満たしただけの加工製品が、機能的で、経済性に優れているということで歴史と人類の知恵が証明した良質な素材を駆逐しています。木を使いたいといっても、木の特質を活かす(求める)のではなく、木のクセに付き合う暇もなく、極端に言えば木目があって木に見えればよい(性質は要らない)という消費者、販売業者、施工関係者の考え方が垣間見られます。
フローリングの大半は薄い突き板と何枚もの合板を接着剤で貼り合わせたものですし、オールステンレスを謳っている流し台などでも、引き出しや芯材ではパーティクルボード(木屑を接着剤で貼り合わせたもの)を用いているものもあります。家具についても言えますが、イミテーション素材を用いた「〜風」のものでも、きらびやかな装飾を施して高価格に設定し、「高級品」に見せるなど欺瞞に満ちたものが少なくありません。
住宅の長寿命化が叫ばれていますが、こうした実態をみると、どうもその逆を行っているのではないかと思います。適材適所を無視して、その時点でのお手軽さ、見た目の綺麗さを基準に採用される部材は、結果として早期にリフォームを必要とするのではないかと思えます。
最新の加工技術で用途開発し、安価で、とりあえずの機能を打ち出すことや新たな機能を付加して伝統材に取って代わるというのも企業としてのあり方だと思いますし、市場のニーズや時代の要請ともいえます。しかし、こうした状況だからこそ、企業がどんな価値を提供するのか、何を扱い(作り)、何を訴求していくのかという点にこそ企業の姿勢、使命観、文化観が如実に映し出されます。イミテーションに過ぎないものを消費者に本物と錯覚させて売っていく企業の次の手は何でしょうか? 健康への配慮にしても、その時点での法規制に違反しなければよしとすべきか、あるいは不健康な要素、懸念材料を徹底的に排除すべきか。この判断の違いはいずれ見過ごせないほどの差となるでしょう。
目新しい性能を売り物にした多くの新製品が、歴史のなかで匠の「知恵」と「わざ」を受け継ぎ進化を遂げてきた住まいの文化をいとも簡単に駆逐してしまうのはなぜだろうかと問い続ける今日この頃です。
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