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 マネージャーの役割の再定義と育成 〜組織の断層を埋める〜

(有)ソフィアート 代表取締役 竺原雅人

【キーワード】
ミドル、中間管理職、連結ピン、役割認識、構想力、役割の再定義、役割の再構築、育成、業務細分化、
組織のフラット化、経営情報、意義づけ、ギャップ、

【サマリー】
昨今、マネージャーの役割について、当事者の認識と経営層からの期待とが著しく乖離しており、そのギャップを埋めるための有効な手立てが講じられていない。組織の総力を結集するためには、マネージャーの現状を直視したうえで創造と改革の担い手としての役割を再定義し、育成することが急務である。

【本文】
かつて、組織の連結ピンにたとえられ、その機能を担ってきたのはミドル(マネージャー)層である。しかし、昨今、新任クラスのマネージャーの多くは、職場の連結ピンとして機能するために必要な視野、視点、時間軸を持てていないのが実情である。そして、単に新任だからではなく、任用されてから日が経ったとしても、放っておく限り実態は変わらない。

どの事業体もすさまじいスピードとコストの競争にさらされるなかで、組織のフラット化、ITによって中抜き化が進展している。業務の専門化、高度化、細分化が進み、さらに統合基幹システムのもとで「業務をシステムに合わせる」ことに神経が集中する。自己完結型業務は減り、自ら配分できる時間は限られ、日々、心身に強烈なプレッシャーを受けながら目先の業務の遂行に追われている。

このような中で、マネージャー(課長クラスを指す。以下、同じ)の多くは、将来に向けての構想を練るとか経営方針に向き合うということを、自身の役割として認識していない。ただでさえ、コンプライアンスやセキュリティの強化、サービス残業の防止、さらにはメンバーのメンタルヘルスに関することで忙殺され続ける。このような状況に「適応」した結果、経営情報に関心のないマネージャーが量産されている。戦略よりもオペレーションに、未来よりも今に関心が集中し、著しく後者に偏っているのが実情である。結果的に、職場には会社や部門の方針を翻訳し意義づける存在としてのミドルがいなくなり、組織の連結ピンという機能は解体され、一部はITにとって代わられている。

しかし、経営層と現場、組織と組織との間をつなぎ、連携や創発を強化・推進する役割は今なお必要であり、意思と感情を持った「人間」に優る担い手はないだろう。

では、トップの意図や経営の方針を受け止め、かみ砕いてメンバーに理解させ、自組織の方向性と課題を示し、各人の業務を紐づけるという役割は誰が担うのであろうか。ITは活用するものであって、組織運営の肝の部分を任せることはできない。形式的には、メンバーへの説明は誰かがやっているはずである。しかし、浸透させる状態にはほど遠いものである。その多くは通達に過ぎず、双方向になっていないことと、それ以上に、情報の受け手に、それを理解、把握するための視点が備わっていないからである。

戦略の担い手としてのマネージャーは、「経営層への提言者」にして、同時に「経営層の意図を翻訳して現場に徹底させる存在」であると一般に認識され、その通りに動いていると思われている。このようなマネージャー(あるいはミドル)の弱体化は、部下の育成(あるいは職場の活性化)という点においても重篤な事態を招いている。 数字のことしか言わず、仕事の背景も目的も説明しない(できない)マネージャーが、己のプレッシャーのみを原動力にマネジメントにあたれば職場は疲弊し、部下も育たない。

問題なのは、こうした現状が把握されておらず、有効な対策がとられていないと思われることである。実際に、いくつもの企業でマネージャー研修に際して役員や幹部の講話を聞いてきたが、役員や部門長クラスが認識するマネージャー像と現実(実態)とのギャップの大きさには毎回のように驚いたものである。両者の間にはとてつもない溝が横たわっている。 マネージャーの多くは、組織の中でマネジメントや経営について学び「直す」ことなく、ひたすらに日々の業務を遂行している。目の前の問題は山積しており、マネージャーとしての関心と現実の役割、そしてプレッシャーは十数年前のそれとは質的に異なっている。今日のマネージャーの関心は、ルールを遵守することなどの「守り」に関するものに偏りがちで、事業体としての「攻め」、言い換えれば「創造」にはあまり目がむけられていない。こうしたことは経営者マターであってマネージャーの役割としては認識していないとか、考える余裕がない、さらには意識する状況にないことなど その理由はさまざまであろう。

ある会社の人事部門の責任者と話をしていたときのこと、当該企業のマネージャーが、マネジメントに関する知識に乏しいだけでなく、マネジメントへの関心が弱いことを指摘したときのことである。同席していた新人の担当者が、ただ一言「教えていなかったんですね」。

正直のところ、その反応には驚いた。いつの時代でも手取り足取り指導するわけではないし、公式に教えていなくても、先輩と仕事をし、その仕事ぶりを見ていて分かって当然ではないかと思った。しかもその会社では昇格に際して通信教育(e-ラーニング)、論文審査、そして専門分野に関する筆記試験がある。だから、そのときは「教えていない」という言葉に違和感を覚えたものだ。しかし、今日の仕事環境では、業務によっては、マネジメントに関することを先輩の背中から学ぶということは現実的でなく、「教えなければ、学んでいない」くらいの発想でマネージャーの育成を考えなければならないのではないかと思うほどである。

その少し前、別の会社の研修のとき、ひとりの参加者が「これまでは自分のことをプレイング・マネージャーだと思っていたけど、実はプレイング・プレイヤーだったことに気づかされた」というと、周囲の者が、まさに同感という相槌を打ったことがある。今日のマネージャーの大半はプレイング・マネージャーである。プレイングの部分は誰もが有しているが、マネージャーの部分については認識のもれがある。マネジメントを担うということは期待されていながらもマネジメントの全体像を知ることなく、昇格前の知識とイメージに基づいてマネージャーの役割を解釈しているため欠落している要素もあるし、マネージャーになったからといってマネージャー固有の仕事を担うとは限らない。 役割とは、端的に言えば「期待される行動様式」である。期待を受け止めることができなければ、また昇格前、新任時、その後の自分への期待の変化を察知することができなければ役割の認識も従前のままである。

だからこそ、マネージャーという業務を一通り経験した昇格2,3年目には、役割の再定義をするとともに、未来志向で、攻めに向けた学びと省察の場を設けて、その役割を果たすための充電、つまりは発想転換と新たな学習が必要になろう。 IT化が進んだ仕事環境の中でも人間の本質が変わるわけではない。人間は長きにわたって強烈なプレシャーを受け続けると壊れてしまう。機械は一定期間に一度は必ずメンテナンスがあり、オーバーホールや点検を行い、必要な修理を施す。しかし、感情を持ち、壊れやすい人間に対するケアは手薄である。確かに物理的には健康診断を行い、時にはメンタル面のチェックを行うことがあるが、未来に向けて構想を練ったり、役割を再発見したり、業務全体の中での自らの立ち位置を確認するといった、人間ならではの、マネージャーのためのメンテナンスは案外なおざりにされている。

したがって、一年に一度、あるいは何年かに一度は職場から離れ、自分の状況を客観視し、立ち位置を確認し、自らのミッションを関連する業務全体の中で捉え直して再定義するということが欠かせないと考える。こうしたことは、マネージャー本人の自律に任せていては誰もやらない。当人の意識の中では、それどころではないからである。だからこそ、組織からの他律的な働きかけが必要である。組織体のビジョンや戦略をベースに、自らの意思による構想を描き、その実行シナリオをつくってブラッシュアップするという鍛錬の場が必要ではないだろうか。仕事の目的、意義、成果を、顧客や関係先(貢献対象)からの視点、そして経営的視点から、自ら整理し自分の言葉で表現するという営みは、マネージャーの活動に不可欠なプロセスである。経営層が期待する役割、部下や他部門が期待する役割を直視たうえで、自らの役割を再定義することは、マネジメント活動の出発点になる。当たり前のようでも今は当たり前でない現実がある。現実を直視し、対策をとることがマネジメントを機能させるために必要であると考える。

その意味でも、マネージャーに昇格後2,3年目というのは、役割を見直し、再構築するための絶好のタイミングであろう。

2012年6月7日 記

竺原雅人
 
 
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