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軽井沢 樹木と野鳥の庭 −100種の樹木と生きもの観察記録− >>前の記録へ >>次の記録へ
■2014年12月29日(月曜日)
概況:
クリスマスも終わり、年末の軽井沢は静かである。年末年始を軽井沢で過ごす人々で別荘地にも明かりが灯る。28日は最低気温が氷点下11.6℃でこの冬一番の寒さになる。雪が降るもそれほど積もらず、霧が出て暖かい。しかしかえって道路は車も人も滑りやすい。車間を空けない安全意識の低い車も多いが、動物の飛び出しも多くアイスリンクのような冬の軽井沢の道路では、車間をいつもの倍は空けて運転すべし。交通安全と火の用心で楽しい年末を迎えたい。
樹木: ソフィアート・ガーデン100種500本の木のエピソードを紹介していく。今回はカラマツについて。カラマツはマツ科カラマツ属の落葉針葉樹。日本固有種である。漢字名で「落葉松」と書くとおり、晩秋に黄金色の葉をサラサラと落とす。カラマツの黄葉は文字通り、雨のように、あるいは雪のように大地に降りつもる。晩秋の明るく晴れた空に、黄金色の高木のカラマツがくっきりと映える様は、信州の高原ならではのすばらしい景観である。高山に生えるが、あまり標高が高すぎてもカラマツは育たない。 以前、小諸の「アサマ2000」という標高2000メートルのスキー場の近くを散歩していて、天然カラマツの林に行き当たったことがある。人かげなど全くない、高原の奥の凍った空気の中、見渡す限り、低く、伸びやかに下枝を広げた天然カラマツの姿は、あたりに荘厳の響きが漂い神が宿るような神聖な場であった。天然カラマツのことを、大工さん達は「テンカラ」と呼んで特別視している。「浅間根腰のカラマツは良い」とも聞いた。「テンカラ」という材に対しては、世界中で、日本の、この土地しか存在しない材として一種独特の誇りをもっているように感じる。一方で、カラマツはクセのある材で、作り手を選ぶ。30年ほどは、左右にねじれながら育つと聞く(数十年育つと、そうしたねじれは若干落ち着くようであるが)。カラマツ材は、すばやく上手に組み上げなければ捻れて大変だそうだ。そのかわり、腕の良い一流の大工さんによってがっちりと組まれた後は、ねじれが逆に強度となって、強くてしなやかな家になるという。(参考:ソフィアート・ガーデン物語 第58話 「材を活かす」)
ソフィアート・ガーデンの小屋は、敷地内にあった70年超のカラマツを8本伐採して、建築会社に乾燥、製材、それをもとに構造材や床材として作った。ゆっくりそのうちに小屋を建てよう、と考えていた私どもであったが、建築会社の会長が急いで建設をスタートさせたいとして、建てる時期を若干予定より早めることになった。なにしろ製材をしてもらったカラマツ材が捻れ始めると使えなくなってしまうそうだ。私どもは予定が前倒しになって少々あせったが、結果的には2010年のちょうど今頃、小屋が完成して、間もなく東日本大震災や原発事故などで建築資材が品薄となり手に入らなくなったのを考えると、結果としてはそのタイミングで建ててもらえたことに感謝している。
カラマツの材からは無色透明のヤニが出る。セメダインのような粘性と香りがある。これが虫を寄せ付けない。製材の際に脱脂を行う技術によって、建築材として使えるようになったが、その昔は湿地の土壌を強化するために埋め込む材などに用いる程度で、あまりカラマツで普請するということは知られていなかった(テンカラの普請は例外として高級普請とされる)。
軽井沢はカラマツ林が多いが、その景観の多くは明治時代の事業家、雨宮敬次郎によって作られた。軽井沢を開発した事業家は何人か知られているが、その中でもひときわ大きな存在として知られている雨宮は、さまざまな事業を試行錯誤する中、軽井沢にカラマツを700万本植林したことで有名である。軽井沢に縁の深い、その親族の方が、以前、カラマツのサラサラと舞い落ちる晩秋の美しさについて嬉しそうに語っておられた。カラマツの落ちる季節になると、もう故人となってしまったその方のことが偲ばれる。
山野草、山菜、園芸種の草花:
ソフィアート・ガーデンの山野草や山菜のエピソードを紹介していく。今回はフキについて。フキはキク科フキ属の多年草。春、雪融けの黒土に、ほっこりと翡翠のように顔を出すフキノトウは、ほろ苦い春の味覚として知られている。フキノトウの天ぷらは最高である。フキノトウを獲らずに放置しておくと、いわゆる蕗の薹がたった状態となり花が咲く。花後、白い綿毛をふわふわと飛ばして生息域を広げるが、地下茎でも増える。そしてその後、かわいらしい小型のフキが地面を覆う。この小さなフキも、ほとんどあくがないので、そのまま味噌汁の具にしたり天ぷらにして食べるとおいしい。初夏を過ぎると小さかったフキが勢いづいて大きくなり、梅雨時には足の踏み場もないほど地面を覆い尽くすようになる。そうなるとフキの収穫時期である。フキの茎はミズブキなら皮と筋をとって薄味で上品に煮物にしたり、ヤマブキなら皮や筋ごとキャラブキで濃い味で保存食としておいしい。ソフィアート・ガーデンの梅雨時は、瑞々しい巨大なヤマブキによって覆い尽くされ、毎年スタッフMの誕生日(梅雨の頃)は、フキの収穫と保存食づくりに追われる毎日である。おかげで一年中、フキの葉や茎で作った食品に困ることはない。私どもの体のかなりの成分がフキで出来ているのでは、というと大げさであるが、ほぼ毎日、何らかの形でフキの保存食を食べている。特にフキの葉は大きい上に大量にあるため、あく抜きして柔らかく煮て刻んで冷凍しておけば、いつでも汁物の具にできる優れものである。
もちろん、ヤマブキを甘辛く煮しめるキャラブキは毎年大量に作る。ソフィアート・ガーデンのヤマブキは、市販されている物と比較して、大きくて柔らかく味が良い。ガーデン付近はフキ最適地のため、敷地の脇のフキは、売り物にしようとしてか見知らぬ人が軽トラックで大量に刈り獲っていくこともある。普段、私どもが手入れしている場所のフキを、見知らぬ人に勝手に獲られるのはあまり気持ちの良いものではないが・・・。 日本酒と醤油、砂糖、少々の塩だけで作るシンプルなものだが、複雑なだし風味も感じられ、卵かけご飯に添えるとおいしい。(参考:ソフィアート・ガーデン物語 第43話 「旬を食べる 2 −蕗(フキ)−」)
野鳥:
シジュウカラやコガラは、つららの水をホバリングしながらハチドリのように飲む。なんだか、おいしそうな飲み方である。ゴジュウカラはカラ類混群の中で、比較的体が大きく強いため、他のカラ類を蹴散らす勢いでフィーダーに来る。大きなゴジュウカラがいない間を見計らって、小さなゴジュウカラが、気が弱く、木の幹に隠れて、コガラにさえ遠慮する様子。フィーダーになかなかこれずにいる。まだ子供なのだろうか。
年末の用事で忙しく、私どもがソフィアート・ガーデンに行ってフィーダーを出す時間がまちまちになってしまう。私どもが留守の間はフィーダーを設置していないため小鳥たちは食餌を探しに混群で移動してガーデン付近にいないことも多い。シジュウカラはあまり行動範囲が広くないので、私どもが到着すると最初に見つけて、こっそりとフィーダーを独占する。その後、比較的近くの藪に住んでいるコガラが来て、ビービーと騒いでみんなに知らせ、その声を聞きつけて、ヤマガラやゴジュウカラが遠くから矢のように飛んでくる、という順番でガーデンに到着するのが通例である。しかし、最近はコガラもシジュウカラ同様、ひっそりとフィーダーを独占して、静かにヒマワリの種を食べている。コガラは体格が小さいため、たいてい混群の中でもフィーダーの優先順位が後回しにされるため、食餌が乏しい時はまず自分が食べてから仲間を呼ぶ、という智恵がついてしまったようである。その点、ヤマガラは人が良い(というか鳥が良い)のか、のんきなのか、たまたまヤマガラだけがいて他の鳥がいないときにフィーダーを出すと、自分が食べる前に「ニーニー、ニーニー」と精一杯鳴いて飛び回り、まずは仲間を呼び集めようとする。ヤマガラは行動範囲が広い上に、せっせと貯食しているので、他のカラ類より心理的な余裕があるのかもしれない。このように、鳥たちにも、個性と性格の違いが見られる。
虫:
今年は小屋のカマドウマ大量発生に悩まされたが、1週間ほど暖房をたかずにいたら、この寒さで絶えてしまった。
その他:
クリスマスの賑やかさが、今年の軽井沢ではあまり感じられない。さすがに駅前の軽井沢プリンスショッピングプラザは、まるでハイシーズン並みに混んでいたし、週末のスーパーツルヤはハイシーズンよりも混雑していたが、町なかは静かで人もあまり見かけない。首都圏に近く冬でも観光や保養で比較的客足の多かった最近の軽井沢でさえこうなのだから、他の地域は推して知るべしである。都会の活気とは裏腹に、地方経済は想像以上に冷え込んでいるのではないか。成長から成熟へ、時代が変わったとも言えるが、日本の美点や景気回復を強調する論調の陰で、消費増税や政策のマイナス面がじわじわと人々の活力を減衰させているように見える。
田舎と都会、全国の様々な都市を行き来する生活を10年以上していると、そのギャップから気づきを得ることが多い。立ち位置や視点を変えて事物を見
ることで価値観や常識というものが場所や時代によって変化することを知り、複眼的になるかもしれない。有頂天になったり閉塞感に陥ることなく覚めた目で現実を眺め、そして常に明るい気持ちで未来を見つめたい。
来年が平和で良き年でありますように。
軽井沢 樹木と野鳥の庭 −100種の樹木と生きもの− 有限会社ソフィアート 長野県軽井沢町長倉 2082-4 文章と写真:スタッフM
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