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軽井沢 樹木と野鳥の庭 −100種の樹木と生きもの観察記録− >>前の記録へ >>次の記録へ
■2014年1月13日(月曜日)
概況:
七草粥で一年の健康を祈念。寒さに磨きが入り、最低気温は氷点下13度を下回るようになった。久しぶりのソフィアート・ガーデンの小屋は室温が氷点下で排水溝が凍って水が流れない。薪ストーブや灯油ストーブなどをフル活用して1時間ほどで室温10度以上になると水場も使えるようになる。軽井沢の冬の山荘では、温暖な土地では考えられないような水回りの面倒な儀式が必要である。また雪や氷の重みからか、ミズキの枝(全長約8メートル)が折れていた。
樹木:
ソフィアート・ガーデン100種500本の木を紹介していく。今回はミズキについて。
ミズキはミズキ科ミズキ属の落葉高木。軽井沢周辺には多く自生している。成長が早く大木になるため、庭に植えているのはあまり見かけない。ソフィアート・ガーデンには20メートルを超えるミズキが複数ある。寿命はそれほど長くはなく、人間より短いようである。
ミズキは、春になると「ポタ、ポタ」と枝先から水を滴らせる。ミズキ(水木)の名の由来とも言える。水を吸い上げる力が強いのだろう。その水が樹肌をオレンジ色に染めているのも見かける。樹肌にオレンジ色のブヨブヨとしたものが付着している様子は、少しグロテスクである。(参考:ソフィアート・ガーデン物語 第2話「木の雫」)
ミズキはハナミズキと名が似ている通り、葉がハナミズキに似て平行な葉脈がとおる。ヤマボウシにも葉は似ている。実は小鳥が好む。碓氷峠のあたりを春から初夏に車で移動すると、ミズキの変化を楽しむことが出来る。まず、芽吹きが美しい。ミズキの新緑は森の中でぱっと目を引く、明るい蛍光色の黄緑色である。この新緑を見ると、高速道路を時速100キロで走っている車の車窓からでも、一目で「ミズキだ!」と分かる。ミズキは山の雑木の中で、個人的には春の主役と呼びたいほど美しい木である。
そして初夏には、黄緑が濃いあざやかな緑になり、その上を白い花が覆う。紅葉はピンク、しかし落葉すると意外に地味な黒味がかった灰色になる。また、新枝が赤く美しい。小正月のどんど焼きなどでは、米粉団子をミズキの赤い枝に刺して繭玉を飾ったり、焼いたりする風習もある。
昨日、ソフィアート・ガーデン内を車で移動していると、車のタイヤが何かにぶつかった。驚いて車を降りてみると、8メートルもの長さの枝が、横倒しに行く手をふさいでいる。20メートルを超えるミズキの落枝である。8メートルともなると、枝とはいえ、立派な木のようである。枝が長すぎて、雪の重みなどに耐えきれず折れて落ちてきたのであろう。いくつかの木が、その落下の重みで枝が折れるなど傷ついていたが、構造物への被害がなくて良かった。
山野草、山菜、園芸種の草花:
ソフィアート・ガーデンの山野草や山菜を紹介していく。今回はウバユリについて。
ウバユリはユリ科ウバユリ属。ソフィアート・ガーデンにはたくさん自生しており、ユリの仲間だけあって、花の季節にはユリのかぐわしい芳香を放つ花を咲かせる。すっくと背の高い茎を伸ばし、薄緑がかった白い花をたくさん咲かせる。霧の中にウバユリの花が咲く頃は、辺りに上品な香りの霧が立ちこめて、なかなか美しい姿だと思うが、「姥(ウバ)」という名前といい、少々気の毒な山野草である。根は、いわゆる「ユリ根」であり、イノシシが掘り起こして食べてしまうこともある。サルが花後の未熟な種をかじって折ってしまうこともあった。種は特徴的な薄く平たく半透明な膜に覆われる。パリパリとした薄い感じがポテトチップスに少々似ている。また大きさは違うが、ハルニレの種にも似ている(ハルニレの種はだいぶ小さい)。種子を落としたあとの種子殻?のついた茎は造形や質感が飾り物としても面白く、リースやドライフラワーとして飾る材料になるため、道の駅などで、このウバユリの種子殻の茎を販売している。私も、たまに庭のウバユリの枯れ茎を冬に採取し、壺に入れて室内に飾っている。
野鳥:
東京出張が続き、数日ぶりにソフィアート・ガーデンに行くと、カラ類たちの大変な歓迎(クレーム?)ぶりにあう。2羽のコガラが、目ざとく私どもの車の到着を見つけ、目の前の枝にとまって「ビービー、ビービー」(スタッフM訳「来たよ、来たよ! 早く、早く!」)と双子のように声をそろえて鳴く。その声を聞きつけて、他のカラ類たちも次々に矢のように飛んでくる。カラ類たちのフィーダーの設置を促すクレーム(要求)の大合唱が、氷点下の引き締まった冷気に響き渡る。早々にフィーダーを架けると、クレームの大合唱の割には案外あっさりしていて、それぞれが、2,3回ヒマワリの種を取ると、さっと次のエリアへと回遊してしまう。冬の間は種を超えた混群による集団を形成し、一カ所に頼らず、リスク分散しながらなわばりを回遊する。厳しい冬を生き抜く小鳥たちの知恵である。(参考:ソフィアート・ガーデン物語 第111話「冬の群れ」2013年1月19日)
カワラヒワの集団が、「キリキリ、コロコロ」と鳴きながら地面を一方向に向かって皆でホッピングして餌をあさっている。フィーダーからこぼれたヒマワリの種をついばんでいるのか。そのうち、フィーダーを占領しだしたので、私が窓から顔を出すと、カワラヒワの集団は一目散に逃げ、いつものヤマガラやコガラたちは、逃げずにその場に残ってほっとした表情をしている。カワラヒワはみんなのフィーダーを集団で占領するところがあり、その点はスズメと似ていて少々困る。
自宅のフィーダーは、今年はひまわりの種を入れるのを控えめにしている(シメやガビチョウが入り浸ることを防ぐため)ので、シジュウカラやヤマガラが一つがいずつ訪れる程度だが、最近はカヤクグリが入り浸っている。もっぱら薪の上で落ちたヒマワリの種の滓をついばむだけであるが。カヤクグリは不思議な鳥で、あるときから毎年、冬にはどこからともなく現れ、慣れた様子でデッキに入り浸る。地味で目立たない小鳥で、あまり人を恐れない。とにかく地味であるのが特徴で、スタッフMは地味な性格の人を見ると「カヤクグリ」に似ているとひそかに思う。
虫:
虫はみかけない。
その他:
13日は成人の日、15日は小正月である。この時期、軽井沢の各地域では注連飾り(しめかざり)などを焼く「どんど焼き」という行事が行われている。こうしたお盆や正月などの地域行事は、地域の人々、特にその土地で生まれ育った人々にとって欠かせないものとなっている。
こうした「どんと焼き、どんど焼き、とんど焼き」など、左義長(さぎちょう)という小正月に行われる火祭りの行事は、日本全国では一般的な行事のようである。沖縄(琉球王国)はもともと、どちらかというと中国大陸の文化に強い影響を受けており、本州とは文化や風習がかなり異なる面もある。例えば正月は本土同様、新正月は祝うものの、旧正月も重要視される。
スタッフMは30年前、大学入学時に単身で那覇から東京に上京したとき、電車を見たことがなく(沖縄には電車は当時なかった、現在はモノレールがある)乗り方さえ知らないような世間知らずだった。1972年の本土復帰以前、米国施政権下の沖縄に生まれ、南の国で自由に育った外国人のようなスタッフMにとって、生まれ育った故郷を離れて東京で生活するということは異文化体験であった。その経験から得られた学びは大きく、人によって「常識」や「当たり前」は微妙に違うものであり、それを尊重しながらつきあっていかなければならないことを痛感した。とはいっても、東京においては、学生生活も仕事も人間関係にとても恵まれていた。地方出身者の寄せ集めである東京のような都会では、お互いの異文化への配慮からか過干渉が少ないため、周りの親切心に感謝することはあっても、人間関係のストレスは全くといって良いほど感じたことがなかった。
長野県は古い風習が色濃く残っている地域もあり、その意味では古き良き伝統的な日本を見ることの出来る貴重なところだが、風土の全く異なる他県で生まれ育ち学んだ者にとっては独特の慣習に戸惑うこともある。東京などの大都市との接点が大きい軽井沢でさえ例外ではない。幸い、私の暮らしているところは素朴で優しい人柄の方が多いため安心して暮らせるが、その地域では「常識」となっている「明文化されない暗黙の風習」に戸惑うことが多かったのも事実である。
私(スタッフM)は学生時代、文化人類学や民俗学に関心があり、専攻している教育学の他に田中真砂子先生(お茶の水女子大学名誉教授)の文化人類学の研究会に入り、ICU(国際基督教大学)の学生や院生、社会人の方と一緒にフィールドワークに参加した。現在でも日本全国の建築や伝統工芸、風習などへの関心は持ち続けており、そういう意味で各地の文化を「学ぶ」ことができるのは興味深いのだが、その中で「生きる」となると別の話である。本州に来て30年経った今でさえ、自分は外国人なのではないかと思う時が多々あるものの、今や軽井沢に住み始めて早10年を迎え、その辺は適当(テーゲー)に流して楽しく生活している。
軽井沢 樹木と野鳥の庭 −100種の樹木と生きもの− 有限会社ソフィアート 長野県軽井沢町長倉 2082-4 文章と写真:スタッフM
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