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■第29話 「お茶の時間 3」 2012年5月18日
集中して仕事をしたら、ちょっと肩が凝りました。そろそろお茶の時間にしましょう。
いい季節ですので、デッキで庭の緑を眺めながらいただくお茶は、おいしいものです。だんだん、遠くの山並みも木々の葉に隠れて見えなくなってきました。
イカルのおっとりしたさえずりが、やさしい女性の声のように森に響きます。ウグイスをはじめとする常連の小鳥たちのさえずりも遠近から聞こえてきます。ときどき、「ケーンケーン」というキジの声も低地に広がる藪の中から響いてきます。
ガーデンの小鳥たちはすっかりよそよそしくなり、それぞれの繁栄のために全力で働いています。たまに、仲良しのヤマガラが、お茶をしているそばに覗きに来るぐらいで、人間には近寄らなくなります。
私どもも、自分の仕事をわきまえて、小鳥ほどではありませんが全力で生きなければ、と思います。
今回は、私の愛読書の紹介をします。コンラート・ローレンツ『ソロモンの指輪−動物行動学入門−』(日高敏隆訳、早川書房)です。
ローレンツ博士は、1903年ウイーン生まれ、「動物行動学」という領域を開拓し、1973年にノーベル医学生理学賞を受賞、1989年に没していますが、一般によく知られているのは「刷りこみ」(鳥のヒナが最初に目の前の動くものなどを親として認識する、というような、きわめて短期間の、しかもやり直しのきかない学習)の研究でしょう。
この本は、何度読んでも幸せな知的興奮と生きものたちのさまざまなドラマに心を打たれます。
博士の、事実に忠実に動物を見続ける透徹した頭脳と、生きものへの畏敬に満ちた温かいまなざし、なによりそれらを書き表すユーモラスな文章力と日高敏隆氏の翻訳による読みやすい日本語、そして博士自身の書いたイラストの数々。
繰り返し読むたびに、(不遜な思いですが)少しでも博士のように、自分自身が生きものたちから教えられたことをメッセージとして表現してみたい、という思いを新たにします。
「ガンの子マルティナ」という章は特に印象深く、何度読んでも笑いがこみ上げながらも、深く共感し、ときに目頭が熱くなります。
ローレンツ博士が、孵化したばかりのハイイロガンのヒナに最初に語りかけた存在となったばかりに、博士はそのガンの子の母親として「刷りこみ」されてしまいます。 以来、1羽のハイイロガンの親として朝から晩まで(もちろん寝床でも)振る舞うことを受け入れる覚悟を綴っている場面は、本書の山場であると言ってもよいでしょう。
初めのうちは、他の親鳥にそのヒナを育てさせようと何度も試みますが、そのたびに、ヒナは「ピープ・・・ピープ・・・ピープ・・・」と大声で泣きながら、お母さん(として刷りこまれたローレンツ博士)を追って、死にものぐるいでけつまずいたり転んだりしながらも走ってきます。まだ生まれたばかりで立っていることもままならないヒナですが、必要に迫られたらとっさに走ることができる、という成熟の順序にも驚かされます。
またヒナは、一晩中、1時間もたたずに起きては、お母さん(ローレンツ博士)に「ヴィヴィヴィヴィヴィ?(私はここよ、あなたはどこ?)」という声で呼びかけますが、博士は、自らは目を覚まさないままで「ガガガ(ここよ)」とハイイロガンのお母さん語で反射的に答える技を身につけたといいます。 博士は「もし私がぐっすり眠っているときに、だれかが私に小声でヴィヴィヴィヴィヴィ?と問いかけたら、私は今でもきっとそう答えるだろうと思う」と述べるくだりは、思わず読むと笑いが込みあげてきます。
そのハイイロガンのヒナは、マルティナと名付けられ洗礼を受けるなど、ローレンツ博士の養子として人間の子供同様に迎えられ、育てられる中で、様々な発見や洞察を博士にもたらします。他にも魚や両生類、犬などのこまやかな描写と数々のドラマが語られ、動物行動学者としての淡々とした筆致がかえって深く心に残ります。
全編を通して、忘れられないエピソードが満載ですが、私が、何度読んでも「その通り!」と頷くのは「まえがき」にある次の言葉です。
「私は自然科学者であって、芸術家ではない。だから私にはまったくなんの自由も「様式化」も許されない。しかし、動物がいかにすばらしいものであるかを読者に物語ろうとするとき、このような自由は少しも必要ではない。むしろ、動物の話を書くときにも、厳密な科学論文の場合と同様に、ひたすら事実に忠実であるほうが、適切であると思う、なぜなら、生ある自然の真実はつねに愛すべき、畏敬に満ちた美しさをもっており、人がその個々の具体的なものを奥深くきわめればきわめるほど、その美はますます深まってゆくものだからだ。もし、研究の客観性、理解、自然の連繋の知識というものが、自然の驚異への喜びをそこなうなどと考えたとしたら、これほどばかげたことはない。むしろその逆なのだ。自然について知れば知るほど、人間は自然の生きた事実にたいしてより深く、より永続的な感動を覚えるようになる。」
私の目や耳は、そして書き写そうとする心は、ちゃんとこの言葉から学んでいるのでしょうか・・・。
この物語も第29話まで歩みを進めましたが、ローレンツ博士の言葉は、常に私に反省を迫ります。
駄文を連ねたソフィアート・ガーデン物語ですが、私どもを育て導いてくれた、もろもろの出会いに対して、生きるものたちへの感謝の心を伝えたい思いで書き綴っております。その思いだけでも、読んでいただいた方に伝わればうれしいです。
『ソフィアート・ガーデン物語』
有限会社ソフィアート
スタッフM( 竺原 みき )
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