|
|
|
軽井沢 樹木と野鳥の庭 −100種の樹木と生きもの観察記録− >>前の記録へ >>次の記録へ
■2013年11月23日(土曜日)番外編 沖縄本島(那覇〜名護)
概況:
沖縄(那覇)の様子。安定した晴れが続き20度前後で過ごしやすい。街路樹トックリキワタのピンク色の花が満開。サガリバナの花も見られた。那覇市街はメジロのチーチーという声がよく聞こえる。北部では姿は見えないがガビチョウに似た鳴き声が深い林の中から聞こえる。2年前の台風の塩害で枯れたリュウキュウマツやヤシもまだ多いが、古くから屋敷を守るフクギ林は艶のある葉を茂らせていた。各所の野原や空き地はススキの穂が白く風になびいていた。
樹木:
那覇市の街路樹として目立つトックリキワタのピンク色の花が満開である。国際通りのパレット久茂地や県庁舎の近くにあるサガリバナの花も見られた。ブーゲンビリアが咲き、ハイビスカスも花をつけていた。2年前には大きな台風が連続し、多くの木々が台風の塩害で枯れた。今でもリュウキュウマツやヤシが茶色くなっているのが道路沿いに見える。 しかし、古くから家屋敷を守る防風林として大事にされたフクギは、さすがに土地の風土にあっていて、艶のある葉を茂らせていた。またガジュマルも生き生きしていた。フクギは紅型の黄色の貴重な染料にもなるし、なにより葉がつやつやと小判型で美しい。「福木」として昔から縁起の良い木として大事にされている木である。地元の人から聞いた話では、フクギは良い木であるが大きな実(柿のような実で人は食べられない、コウモリは食べる実で、腐ると悪臭がする)が落ちて道路を汚すため街路樹には向かないそうだ。 最近デイゴの花を見かけないので人に聞いたら、ここ3年ほど蕾や葉を虫に食べられて花が咲いていない上、木も弱ってしまい、あちらこちらで大木を伐採せざるを得ない状況だそうだ。私は子供の頃デイゴの大木に登って遊んだので、デイゴの惨状はとても寂しい話である。
山野草、山菜、園芸種の草花:
工事などで更地になったところや空き地には、見事なススキの大群が穂を白く風に揺らしている。本土の空き地には、たいていセイタカアワダチソウの黄色い花がススキと勢力争いをしている光景を目にしたが、沖縄の赤土にはセイタカアワダチソウは歯が立たないのか、全く見かけない。チガヤなど昔からの日本の草が、草原に白く揺れているのを見ると、本土や外国からの客や米軍の存在もある沖縄だが、生態系は意外に地元の在来種の強さが目立つことに気づく。細長い島は台風による塩害がひどいので、内陸型の外来種はいったんは生えても繁殖できずに、そのうち淘汰されるのかもしれない。
喜如嘉の芭蕉布工房の日当たりの悪い場所で巨大なオオタニワタリが青々としていた。オオタニワタリは蛇の居るようなじめじめとした日当たりの悪い場所が適地であり、美しい葉が次々と茂って美しい上、どんどん出てくる新芽はクセがなくおいしい(山菜のコゴミに似ている)。昔、沖縄の実家の庭にあったオオタニワタリをいくつか分けてもらったが、適当な水遣りしかしない中で、東京や軽井沢の家の中で20年近く生きている。本当に生命力の強い植物である。
野鳥:
那覇市街はメジロのチーチーという声がよく聞こえる。県庁舎の近くにはツグミやキジバトがいる。以前はシジュウカラもいたが、今回は出会えなかった。北部ではガビチョウに似た、「カリカリ、キョロン」という、いかにも南国の鳥といった金属音様の鳴き声の鳥がいた。姿は見えないが深い林の中からよく聞こえた。
虫:
以前、11月に北部の名護に行ったとき、やんばるの山奥にあるおいしいコーヒー豆を売っている店を探していて迷い、ひどいヤブ蚊に刺された。今回も那覇のホテルの庭を散歩していて、ヤブ蚊を見かけた。沖縄の秋は、まだまだヤブ蚊の活発な時期である。県庁舎の近くで道端のランタナの花にアゲハが舞っていた。蝶もまだまだ活発である。
その他:
私スタッフMは沖縄(那覇市)出身のため、毎年春秋と帰省ついでに沖縄旅行するが、そのたびに沖縄の活況ぶりには驚く。タクシー運転手曰く、ホテルは5年前の2倍の数に増え、那覇空港も国内線、国際線の両方の施設を拡充していた。珊瑚の宝飾品店に聞くと、中国からの客が「血赤(ちあか)」と呼ばれる真っ赤な珊瑚を求めてよく訪れ、珊瑚原木を高値で買って、さらに自国で加工して10倍の値段で売るとか。中国人は白(深海珊瑚)やピンク(桃珊瑚)や気泡のある虫食いは好まず、真っ赤を好むそうで、ピンクや虫食いはヨーロッパ人が好むとか。昔は日本人はピンクをボケ珊瑚と呼び人気が高かったそうだ。内地からの観光客は消費が堅実(消極的)だが、中国客の消費行動は高いものを大胆に買い付けていくらしい。黒珊瑚などはすでに枯渇しているようだ。他の宝石珊瑚も新たな採取が規制もしくは禁止されているものも多い。 街の商店街の様子も変わり、平和通りや市場通り、むつみ橋通りなどは私の子供の頃と変わらない昔からの沖縄県民らしいのんびりした商売風景を一部残しつつ、国際通りなどは大きく変わった様に思う。元来、南国的な明るさはあるが、恥ずかしがり屋が多く消極的な面もある沖縄県民には、もともと客引きのような強引な商売は性に合わないのか、ほとんど見かけなかった。国際通りなどは私の住んでいた頃(30年前)は客引きもなく街歩きが楽しかったが、今では少々強引な客引きが目立ち散策しにくい。アジア大陸の影響なのだろうか?少しばかり不愉快である。
今回は久しぶりに大宜味村喜如嘉の芭蕉布会館に立ち寄った。芭蕉布は琉球王朝時代からの伝統を持ち、国の重要無形文化財に指定されている。バナナの樹に似た糸芭蕉の樹皮を木灰で煮て柔らかくし、竹鋏で不純物を取り除いて細く長い繊維に加工して、車輪梅(焦げ茶色)や想思樹(茶色)、琉球藍(藍色)などの沖縄の樹木からなる染料で染め、機織りで織りあげる。夏の梅雨時期が機織りの適期で、それ以外は乾燥すると糸が切れやすいので加湿しながら織るそうだ。訪問した日は、木灰で煮て柔らかくした芭蕉から繊維を取る作業をしているところであった。女性たちがゴザを敷いて並んで座り、桶から一つ一つの煮た芭蕉を取りだし竹鋏で丁寧に皮をこそげ落としながら、乳白色の繊維を取っている様子を見学することが出来た。
太平洋戦争後、進駐したアメリカ軍によってマラリアの感染源とされる蚊の繁殖を防止する名目で多くの糸芭蕉が切り倒され芭蕉布が途絶える危機に瀕した。喜如嘉の芭蕉布の復興に取り組んだ人間国宝の90代の女性(平良敏子さん)
が、先日(11月17日)、日本経済新聞の「美の美」という欄に大きく取り上げられていた。消滅の危機に遭った芭蕉布をよみがえらせた、その人間国宝の方も、工房で後進の指導をしながら作業を進めておられた。90代でもなお若々しい指先で細い糸を紡いでいる姿は穏やかでにこやかであった。スタッフMは訪問の記念に芭蕉布のコサージュを買い求めた。
樹木と野鳥の庭 −100種の樹木と生きもの− 有限会社ソフィアート 長野県軽井沢町長倉 2082-4 文章と写真:スタッフM
|
|
| |